日本の一流企業の退職率がおおむね3年3割ですが、これは会社と志願者の相性の問題もありますが、面接で適正な人を採用できていない証拠でもあるといえます。
日経の特集「教育進化論」で「『AI講師』ハーバードでも 学び転換期、今こそ好機」とあります。初歩的な部分はAIに任せ、学生と教員は深い思考を要する問題に集中する狙いとあります。私はこのブログで5-6年前から日本の小中高の先生は道徳や討議の司会役、あるいや生徒個人のケアにあたり、学習指導は電子化すべきと何度か申し上げました。日本もそれは確かに進んでいますが、教職員の仕事環境が激変することを恐れているのか、教育委員会の導入姿勢も恐る恐る、という感じがいたします。
私は偏差値世代の真っただ中を走ったわけですが、よかったことと悪かったことを挙げよ、と言われれば自分の成績上の立ち位置がわかったことが良かったこと、人間を機械同様の記憶装置扱いにした進学塾から生まれた没個性的で適度に学業をこなせる学生に仕立てられたことが残念な点であります。
ではお前は学校卒業後、今日までどうやって人生の道を歩んだのか、と言うと「ひたすら読んだ、考えた、行動した、そして失敗した」のだと思います。学業はほぼ全部学びなおしといってもよいでしょう。今、ユーラシア大陸の外交政策に関する学術書を読んでいるのですが、実に面白いし、知らなかったことがあまりにも多く記されていることで智に対する充足感に浸っているのです。
日本の歴史も私は司馬遼太郎の書に出会うまで恥ずかしいぐらい無知だったと思います。学校で習った日本の歴史などばかばかしいぐらい役に立たなかったと思います。なので司馬氏の書籍はもう10年以上ゆっくり読み続けていますが、通読は遥か彼方です。
私が25歳ぐらいの時、千葉県の成田勤務だったのですが、ある時、会社の諸雑務をして下さるシニアの方から「近くに宗吾霊堂があって、日本そばが有名だから食いに行こう」と誘われました。行きしな、車の中で佐倉宗吾(木内惣五郎)の話になり「誰、それ?」と私が返したところ、「宗吾さんも知らんのか?」とあきれ返られたのは今でも印象的です。あるいは、19歳の時に英国ケンブリッジにホームスティプログラムで滞在していた時、ホストマザーから「あなた、日本人だから知っているわよね、Tea Ceremonyについて教えて頂戴」と言われたときも汗でした。ネットがない時代ですから調べようがないのです。それらを含めた数々の人生の恥ずかしい思いや無知ぶり、失敗を糧にしてもっと勉強しなくてはいけないと思うようになったのです。
教育とは結局、やらされるものではない、自分から学ぶ姿勢を作れるかです。勉強するとは滑走路をTake Off する飛行機がどこまで高度を上げられるか、という比喩でもよいでしょう。ただ、大事なのは高度を上げたらそれでおしまいではなく、それをより高くし続けること、そして墜落しないようにすることです。
では最後にもう一つだけ。今の教育で何が必要か、と言われれば私は学際だと思います。つまり今の世界は複雑にいろいろなことが絡み合っていてその中で解がドンドン変わる時代なのです。例えば飲食店をやりたいといった場合、単に旨くするなら味を濃く、甘みを強調し、うま味調味料をつかい、強い火力があれば家庭の味とは大きく異なり、客は「うまい」と感じます。あれが本当にうまいのか、と疑問を持つ方はいないでしょう。では「あなたの舌は騙されている」と発想したらどうですか?これ一つだけでも飲食事業の切り口は無限に変化するのです。
AI専門家は文学や美術を学ぶべきだし、スポーツ選手は心理学や社会学が必要でしょう。教育者は哲学とあえて経済学といいましょうか?政治家には仏門修行もよいかもしれません。大事なのは自分から学びの範囲を広げるモチベーションを持つようにすることではないかと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年5月日の記事より転載させていただきました。
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