大半の方にとって教育とは小学校から高等教育、つまり大学や専門学校程度までをその期間と考え、そこを卒業すると社会人となり、学校での強制された勉学から解放されると思われているのではないでしょうか?私はカナダに来たばかりの頃、地域のコミュニティセンター(公民館)に大人のためのクラス(adult learning class)が多く開設されいることに驚いたことがあります。3-6か月程度の受講期間で特定の分野、アカデミックな内容から会計やマーケティングの実践型、更にはフラワーアレンジメントや料理など趣味のクラスまで20-30のクラスがどこの地域のコミュニティセンターにもありました。たいてい午後6時ごろから8時、9時ぐらいまでの週に数回とか週末のクラスだったと記憶しています。

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その時、初めて生涯教育という概念に触れ、それが人々の人生でどれだけ役に立っているのか、時間の経過とともに知ることになります。学校時代に習ったはずの「あれ」が理解できない、というのはよくあること。あるいはいつの間にか自己流で間違ったやり方をしていたのに気がつかなかったことは社会人になって仕事をしていく中でハッと気がつくことも多いものです。

また、当地では転職というか自分のキャリアをそっくり変える方もよく見かけます。バーテンダーから配管工やクラブのDJマンからAI技術者になった人もいます。人生、歩んでいる中で気づきが必ずあり、その時に手助けしてくれるのがそのようなAdult Learning Classであり、あとは本人がやる気を出すかどうか次第です。

俯瞰してみると私の中で「教育とは何だろうか」と考えると、①自律的に人生を全うするための基礎と技術と手段を学ぶところ(実践部分)②自分自身で物事の判断をし、成人としての道徳心を持ち、失敗や試練に対して耐性を持たせる人間育成(人間哲学)の2つだと思うのです。

つまり、学校の成績でAがたくさんあるとか、100点を取るとか、学内でトップを取るのは副次的結果であり、その人の心の中で「人生という原子炉」が熱く燃えるきっかけが生まれ、好成績に結び付けるモチベーションとなっただけなのです。ところが、社会や企業はその副次的結果が手っ取り早い判断基準であるため、その成績に惑わされるのです。