Appeal to anger / Appeal to outrage
論者の怒りを根拠に論者/論敵の言説を肯定/否定する
<説明>
「怒りに訴える論証」とは、論者が【怒り anger】を表しながら自説を主張したことを根拠にして、論者の言説を無批判に肯定する、あるいは論敵の言説を無批判に否定するものです。
人間はリスクに向き合うと怒りの感情を持ちます。論者が怒りを示しながら自説を主張する時、第三者は、論者が当事者意識をもってリスクに向き合っているように認知し、論者の主張に一定の合理性があると錯覚します。
この錯覚を利用したのがナチス党のヒトラーです。怒りを前面に出したヒトラーの演説はまさに「怒りに訴える論証」であり、ドイツ国民を熱狂させました。
しかしながら、言説の真偽が論者の怒りとは無関係であることは自明です。実際に、怒っても真の結論が得らるとは限りません。むしろ怒りをコントロールして冷静に考える方が問題解決には合理的です。
もちろん、リスクを発生させる対象に対して、過不足なく相応に怒るのは、人間が自然に持つ「自己を防衛しようとする反応」です。しかしながら、リスクに対して過大に怒るのは「他者を支配しようとする反応」であり、リスクに対して過小に怒るのは「他者に隷属しようとする反応」です。
現代の日本社会は、一部マスメディアや一部インフルエンサーに煽られて、政府にゼロコロナや処理水放出反対をヒステリックに求めるなど、不合理なゼロリスクを追求しています。これは、小さなリスクに対して過大に怒りをぶつけている状態といえます。
もっぱらSNSは怒りの消費地です。一部のSNSユーザーは、日々スケープゴートを探し出しては過大な怒りを徹底的に浴びせて自尊心と承認欲求を満足させています。特に、毎日のように怒りを扇動するインフルエンサーとその扇動にいちいち呼応して隷属をアピールする信者が構成するエコー・チェンバーは、もはや暴力的な集団です。彼らは自尊心と承認欲求を満足させることだけが目的なので、ダブル・スタンダードを頻繁に犯しながら暴走します。
最近では、SNS上の怒りが精神的・肉体的暴力に発展して人命を奪うことも珍しくありません。怒りを核とするサイバーカスケードに加担しないよう十分な注意が必要です。
A氏は怒っているで、A氏の言説は真である。 A氏は怒っているで、A氏が否定するB氏の言説は偽である。
<例>
A:あの政治家は少なくとも真剣に怒っていた。 B:そうだね。彼の言っていることは絶対正しいと思う。
日本の国会は「怒りに訴える論証」に溢れています。一部の国会議員が他党の議員に怒りをぶつけるのは、人気商売の営業活動に過ぎません。人気を得ることが目的なので、頻繁にダブル・スタンダードを犯します。彼らの営業活動は、国会議論を阻害し、国民生活に負の影響を与えます。それでも彼らが営業活動を続けるのは、一定数の国民が、彼らの「怒りに訴える論証」に騙され続けているからに他なりません。