黒坂岳央です。
筆者は昔、「テレビのニュースは毒にしかならないから即刻見るのをやめた方がいい」という主張を書籍で読んだことがある。主張を真に受け、そこからもう20年以上テレビのニュースは見ない生活を送っている。というかテレビ自体持たないように意識してきた。
テレビ局はYouTubeにニュースをライブ配信で流すようになったことで最近、20年ぶりにニュースを少し目にしたがやはりこの思いは変わらない。テレビのニュースは一切見ないほうが良いという確信を得た。誤解のないように言いたいのはバラエティとか報道番組といったものは別だ。あくまで事件、事故を扱う類のニュースが良くないという話である。
本稿ではなぜテレビのニュースは見ない方が良いのか?また、代わりに見るべきはなぜ今どき雑誌なのか?個人的見解を述べたい。
ニュースと現実の乖離これまで色んな人から言い尽くされていることだが、テレビのニュースは悲劇的、怒り、猜疑心を刺激するものばかりである。なぜならそうした人間の原始的な感情に訴える内容でなければ視聴率が取れないからだ。
特に昨今はYouTubeが盛況でそちらの過激な演出に負けないよう、ニュース制作側も工夫を凝らしている。そうした過剰報道を繰り返し見ると、現実とはかけ離れた印象を受けてしまう。
国土交通省の発表によると、我が国における自動車事故は年々減少している。飲酒運転の厳罰化や自動車の安全機能向上、またドライバーの安全運転への意識の高まりなど理由は複合的だが、とにかく事故は減っている。
また、警察庁の発表によるとあらゆる犯罪は平成に比べて減少の一途を辿っている。これは我が国に限定した話ではなく、ファクトフルネス(原題:FACTFULNESS)という書籍でも「世界は平和になっていっている」ということがデータで示されている。
だが多くの人が持つ昨今の社会情勢に対する印象は違うはずだ。世の中はますます犯罪が増え、恐ろしくなっていると感じている人も少なくないのではないだろうか。
テレビ側も報道するネタがなければ、1つの事件を深掘りするなど工夫して流すしかない。結果として毎日、ニュースでは少数の凶悪犯罪のショッキングなシーンを繰り返し流し、怒りと悲しみのコメントをし、できるだけ心に傷をつけるように描写される。そうなることで世の中が恐ろしく見えるようになり、悪い刷り込み効果が働く。
確かに令和の今も恐ろしい出来事はあるが、昭和や平成も恐ろしい出来事はあったし、少なくとも事故事件は昔より数は減っている事実を見逃してはならない。
ニュースを見ても何もメリットがないすべてのニュースがそうだとは言わないが、少なくとも芸能人の不祥事報道や凶悪犯罪、事故、事件にまつわる報道は見れば見るほどデメリットしかないので意識的にそうしたニュースは遮断する方がいいと考えている。
こうした話題は人々の関心を強烈に引く。誰しも友人や家族との会話でも幸せ話より、不幸話に興味をひかれるはずだ。正の感情より負の感情は圧倒的に強い引力を持つのが人間心理で基本的にここから逃れることは難しい。人間は太古の昔から、ネガティブさに強く反応してきたからこそいち早くリスクを察知して逃げおおせて来た歴史があるからだ。つまり、ニュース報道はその人間の機能性を利用して視聴率を取っているのである。
だが、冷静に考えてこうした痛ましい事件や他人の不祥事を見てメリットがあるだろうか?胸糞悪くなったり、不安や恐怖を掻き立てられても何もいいことはない。どうしても恐怖を感じたければジェットコースターに乗るとか、ホラー映画を見ればよい。ただでさえネガティブに触れやすい人間感情をますますネガティブに染め抜く必要性、論理的なメリットはなにもない。
先日、子供を連れて買い物にいった際に大きな自動車事故に遭遇した。帰宅後、AIアルゴリズムとGPSが筆者の行き先と地元ニュースを結びつけて抽出したのか、その事故で若い家族が被害にあったという事実を帰宅後に知った。自分は子供関連の悲劇的なニュースはできるだけ耳に入れたくないと思っている。ただただ悲しいし、知ったところで自分には何もできない。やり場のない悲しみに苦しむだけである。そのニュースを見た直後は、もう子供を連れてその路線を走るのが怖くなってしまった。
日常的に悲劇的なニュースを繰り返し見ることで、無意識に様々な前向きなチャレンジの意欲が削がれているだろう。冷静に考えると大変な人生の損失であり、とても恐ろしいことだ。今すぐやめたほうがいいだろう。