小林製薬の「紅麹被害」に思ったこと。
私の人生は20歳の漢方製剤の卸売業を、スタートに、医療品卸売業を、65歳で定年退職するまで、医薬品医療品流通業を天職としてきた。
その途上、小林製薬とは多少の関わりを持った。
元々小林製薬は、医薬品製造部門を持った、医療品雑貨商事を母体に、成長してきた。卸売業が売り上げの大半であった。
製品は戦前に発売された、「鎮痛剤ハッキリ」に始まり、「消炎鎮痛剤アンメルツ」「トイレの芳香剤ブルーレット」「消臭剤サワデー」「熱さまシート」等、テレビCMでお馴染みの商品を、市場に出してきた。
これらはニッチ(隙間)市場と呼ばれ、製薬大手メーカーや花王、ユニ・チャーム、P&G等が、製品化しない、ブールーオーシャン(競争無き)市場であった。キャッチコピー「あったらいいな!」の製品化だった。
しかし、投入した製品はテレビCMが終わると、直ぐ陳腐化してしまった。
市場規模の小ささは、製品のロングセラー化や、リニューアルを困難にした。
その為毎年、新製品を投入せざるを得なくなり、製品開発は短兵急であった。
そして、一方でM&Aも急いだ。使い捨てカイロのパイオニアの桐灰化学の買収を皮切りに、「命の母A」の笹岡薬品。「ビスラットゴールド」等が続いた。
この背景には、ドラッグストアーの台頭があった。ドラッグストアーは、自社製品開発(PB)に力を入れて、PBの売り上げは増加の一途を辿る。
それに反して、国内の小さな家庭薬メーカーは、存亡の危機に立つ。
小林製薬は廃業寸前の家庭薬品メーカーのブランドを買い漁った。
そして、独自のマーケティング力で、再ブランドとして市場に発売する。
小林製薬の大きな転換点は、卸売業のコバショーの分社化と、売却であった。これにより、小林製薬は文字通り「製薬メーカー」となった。
製薬に関しては、GMP「Good Manufacturing Practices」システムという、厳格な製造規格が求められる。製薬メーカーの魂である。
「ジョンソン&ジョンソン(J&J)のタイレノール毒物混入事件」と言う、ベスト・プラクティスがある。
製造ラインで、何者かが毒物をタイレノールに混入。死者が出た事件であった。
米国で「タイレノール」は、鎮痛剤の代名詞であり、全米の家庭には必ず「タイレノール」が置かれていた。
J&Jは全米医薬品食品局に通報。国内の全ての「タイレノール」を回収するとともに、直ちにキャップの再開栓を不可能にした製品を開発した。
この一連の施策J&Jへの信頼を高める結果となった。