したがって、とりあえずは、留学生を大量に送り出し、一方でお雇い外人を招聘して、留学の準備と、低レベルでもとりあえず使える中堅専門家を養成するしかなかった。
東京大学だけは、幕府の洋書調所を前身とする開成校と東京医学校をもとに発足し、これが、1886年に帝国大学、1897年には京都帝国大学の開校に伴い東京帝国大学となった。
京都大学は大阪に設けられた第三高等学校がルーツで、もとは、高等専門学校レベルの文科大学を設けるはずだったが、高まる進学熱を背景に第二の帝国大学が創設された。
さらに、東北帝大、九州帝大が続き、東北帝大から北海道帝大が分かれた。
その次は、京城帝大、台北帝大、さらには大阪帝大、名古屋帝大が続き、北陸帝大が視野に入ったところで新制に移行したのである。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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