挨拶するしないは自由!だけど…
挨拶不要論者の意見は「挨拶するしないは個人の自由だ。好きにさせてくれ。挨拶の有無などではなく、仕事のパフォーマンスで見てくれ」というものがある。確かに義務ではないし、自由にすれば良い。
だが、挨拶がまともにできず、純粋な仕事のパフォーマンスだけで評価される生き方はかなり厳しい。少なくとも自分の同僚や上司と比較して誰がどうみても目を見張るようなすさまじい結果を叩き出せる実力を証明した後でなければ、周囲からの支持を得ることは難しいだろう。
仮に仕事のパフォーマンスが凡庸であった場合、「こいつは仕事も大してできないし、挨拶もできない」と評価が低くなってしまい、相対的に同じくらいの仕事のパフォーマンスだが、挨拶がしっかりできる人材に水平比較で負けてしまう。損をするのは自分であり、一人負けになる。
どうしても挨拶をしたくないなら、独立するのが一番である。同僚も上司もいない。一人フリーランスか社長になればまともに挨拶はできなくても仕事が抜群にできれば許される。
「この人とコミュニケーションを取るとまともに挨拶が返ってこないから不快感を覚える。だが、それを補って余りある仕事のパフォーマンスを返してくれるからしかたなく仕事を頼もう」と考えてくれるクライアントを見つけて、さらにその高いパフォーマンスを継続的に出し続けられる自信があるならぜひそうするべきだろう。
もしくは金融の専業投資家になれば、相手はマーケットになるので一生挨拶はしなくて済む。ただ残りの人生ずっと勝ち続けるのはかなり茨の道になるだろう。
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挨拶をしっかりする、という低コストを払うだけで相手を不快にさせないで済むのは大変コスパが良い行為に思える。「挨拶はコスパが悪い」と思っている人は実は逆が正しくて、挨拶はコスパが良いのだ。
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