黒坂岳央です。
世の中には挨拶否定派が存在する。
この話を聞いた時、自分は特別に驚くことはなかった。自分が学校や会社で働いている時に、挨拶をしない人はそこそこいたからだ。今でも子供の園のお迎えをする時に絶対に挨拶を返さない特定の保護者がいて、周囲から良からぬ噂の対象にされているのを目の当たりにしているのもある。「あえて挨拶をしない選択」をする人は一定数いるのだ。
こんな主語の大きな話をするのはなかなかはばかられるのだが、正直その人の挨拶を見れば仕事ができる、できないという実力を判別できると思っている。
「いやいや、挨拶くらいでわかるはずがない!」と思われるかもしれないが、あながち的はずれな主張ではないと思っている。特にまともに挨拶ができない人は、ほとんどの場合は仕事ができないと判断できると思っていいだろう。その根拠を取り上げたい。
※本稿は特定の誰かを言及する意図は一切ない。あくまで挨拶という行為に焦点を当てた効果の是非を論考するために書かれた。
挨拶の真の目的を理解する挨拶否定派が考えることの一つに「挨拶は無意味」というものがある。心がこもってないのに挨拶をすることはムダであり、職場は仕事でパフォーマンスを出すところなのでそんな馴れ合い行為や相手を利するために自分の時間とエネルギーを使うのは無意味、という思考である事が多いようだ。しかし、これは論理的思考や客観性を欠いており、挨拶の目的をズレて解釈している。
挨拶の目的は相手を気持ちよくさせたり、雰囲気をよくするためではない。そうではなく相手を不必要に不快にさせないリスク、これを回避するためにするものである。
特にパワーバランスに差がある新人が上司に挨拶をしない場合にこのリスクは顕在化する。年齢を重ねて社内政治や世渡りをしてきたベテランにとって、挨拶をしないことは相手への攻撃の口実になり得る。飲み会でチクチク言われたり、口には出さないが重要なお客さんへの仕事を任せてもらえなかったりされる。下手をすると黙って人事評価を下げられて減給につながる。でも本人は損をしていることに気付けない。シンプルに損でしかない。