- 「梅田第Xビル地下街」の繁盛について考える
ちょっと「カオスな悪所の魅力」と「再開発」の両立って話でヒントになるかなと思う話として聞いてほしいんですが、「梅田第Xビル地下街」が今凄い盛り上がってるって話を聞いたんですよ。
大阪の人はご存知と思いますが、「梅田第一〜第四ビル」っていうのが大阪駅の南側に並んで建っていて、それぞれの地下一階地下二階が商店街みたいになってるんですが、それが「ディアモール大阪」という大阪駅と北新地駅を結ぶ巨大な地下街と直結してるんですね。
で、その「ディアモール」の方は物凄く太い通路でキレイで明るくて天井が高くて人通りも凄く多いところなんですが、そこに直結してる「梅田第Xビル地下街」たちは暗いし狭いし天井低いし、昔はお世辞にも「流行ってる場所」という感じじゃなかったんですよ。
空きテナントも多かったし、単に「自販機だけ置いてある休憩スペース」みたいな場所が沢山あった。
でも今そこが飲み屋街みたいな感じでかなり繁盛してるらしいという話を聞いて正月行ってきたんですが、確かになんか、
・人通りが多く行きやすい交通の便の良さ ・狭くて暗くてちょっと汚い”悪所”感
これ↑が両立してて、カフェや飲み屋が集まってて、みんな物凄い狭いところで嬉々として肩寄せあっててなかなか面白かったです。
- 「下北沢」の再開発の事例を考える
まとめると、結局「大阪第Xビル地下街」の繁盛っぷりの理由は、人通りが多い場所に、「狭くて賃料が安い」物件が沢山あるってことなのかなと思うんですね。
ただそれは”たまたま”そうなったという感じで、随分昔に作った建物の地下部分が”たまたま”交通の便が良くて良い感じに「悪所感」があったために息を吹き返した例なんですが、こういうのを「意図的」に作ろうという例も出てきているらしいです。
例えば東京の下北沢の再開発はかなり「意図的に」そういう方向で作ったからまあまあ成功したっていう話があるらしいんですね。
以下のNHKの記事が詳しいんですが、下北沢は再開発してめちゃオシャレな建物が立ちまくった割に結構「ノスタルジー派」の人にも高評価らしいですね。
生まれ変わる下北沢 若者が集うまちづくりのヒントは「地域との対話」
もちろん、たまに「昔の古くて汚い下北沢」じゃなくなって魂が失われた!・・・みたいなこと言ってる人もいますが(笑)
ただ、上記リンク先の内容をまとめた再開発特集番組に平田オリザさんが出演していて、「自分にとっても下北沢は大事な場所だが、本当に良い再開発が行われて関係者に頭が下がる思いです」みたいなことを言ってて、”彼ですら”そういう意見なら、大筋としては「成功」と考えている関係者は多いんだろうなと思いました。
下北沢ではそもそも地下に線路があって高いビルが建てられない制約みたいなのがあったために、「下北沢のブランド力を活かせる個性的な店舗」を集める場所にしようとして、そういう店舗がだいたいどれくらいの賃料なら払えるのか、から逆算して適切な再開発ビジョンを作っていったそうです。
こんな感じで、むしろ「賑わい部分」は単純なその部分だけの利益最大化とは違う論理で賃料を考えることで、「悪所感」と「再開発」を両立させられるビジョンみたいなのが、今後重要になってくるのではないかと思います。
実際そういうトレンドは少しずつ見えているらしく、昔の再開発は「できるだけ豪勢なビルを建てたい」みたいな感じだったのが、今は「そこに来てほしいテナントの賃料負担」を考えた上で成立する必要十分な作り方をするという発想が徐々に出てきているらしいです。
この動画↓、あるクライアントに紹介されて見たんですが、阪神大震災時に焼け野原になった神戸市長田区で、凄い大きな再開発をしたんですが、その「再開発したビル」が豪華すぎて「小商店主」からすると採算が取れなくて困っているという話があったんですね。
それを「あえて減築」して「密度感」を上げて、「採算が取れる」ビルに再・再開発をするという話が出てきているらしいです。
私はさっき書いた肉体労働とかホストクラブとかで働いたあと「船井総研」という非常にユニークな日本のコンサル会社を経て独立してるんですが、船井では「圧縮付加法」といって、チェーンストア的でない個店の魅力を出すには「密度を徹底的にあげて陳列する」ことが第一歩、みたいなテクニックがよく話されていました。
多分長田の「再開発」を最初にやった人とかは、多分「ランドマーク」型のキレイなビルを建てたい人で、逆にこういう「カオスな悪所の魅力」みたいなのがあまり好きじゃない人だったのかも(笑)と思います。
でもそこをあえて「カオスな悪所感を作る」ことを意図的に設計できるスタイルを見つけていくことで、
・「ある部分はランドマーク的なビルに」 ・「ある部分はあえてカオス性を残した場所に」
…という再開発ができるようになっていけば、この「矛盾」を解消できる道が見えてくるのではないでしょうか?
5. 「誰かがグリップする責任」を取らないとクリエイティブな事はできない上記の下北沢の事例では、住民と事業者がかなり膝詰めに対話を行ったことが成功要因の一つになっていて、そういう事が他でもできればいいね、という話ではあります。
が、「下北沢」でそれができた理由は、
・事業者がその土地に関する”ほぼ全権”を単独で持っており、地下化した線路さえ通せれば地上がどうなっても当面はOKだった ・「下北沢」自体に強烈なブランド性とキャラ付けがもともとあり、住民自体が結束して意味のある意見を提示できた
↑このあたりの事情が大きいように私は思います。
これが神宮外苑再開発の場合みたいに、
・ステークホルダーが多くて取りまとめに常に苦労している ・事情を細部まで知らない人も含めてイメージでみんな適当なことを言いまくっている
こういう↑非常に大変な情勢の中で、どうやったら「下北沢と同じこと」ができるのか?っていうのは考えるべき事なのかなと思います。
さっきも貼ったこの記事(外苑再開発問題で討論番組に出た時のもの)でも書きましたが、もし反対派のうち代表的論者であるイコモス石川氏と、事業者側が「クローズドな場」で丁寧に一個ずつ話をすれば、合意点は見つかるだろうという感じではあるんですよね。
ただ、事業者側も「ちゃんと確実にグリップできてるわけではない」し、SNSで反対してる人もよく調べずにテキトーな事を放言してる人が多く、ノイズが大きすぎて着地点に動いていけない。
例えばもし「過去の建物を残したい」とするならそれはある意味余計にお金がかかるプランでもあるわけで、それを推したいなら、それの資金プランをある程度事業者側の目線にも立って一緒に考えようとする姿勢がないと、事業者側もおいそれと話に乗りづらい環境ではあると思います。
たまにSNSで「外苑再開発や万博にはカネ使うのに能登地震復興にはカネ出さない政府で日本は終わりだ」とか言ってるポストがめっちゃ「いいね」されてるけど、外苑再開発に公費を入れずに済む方法を考えるために関係者がどれだけ苦労しているかって話なんですよ。
東京駅旧駅舎を残す時に使った容積率移転スキームみたいなのを使うプランなどを考案したりする事が必要になる。その「事業者側の事情」も迎えに行く姿勢がちゃんと満ちてくれば、「下北沢でできたこと」が「他の再開発」でも丁寧にできるような情勢にはなってくると思います。
また、「人工的な悪所を作る」のと「高層ビルを作る」のは、意図的に両立させる方法はいくらでも見つかると思うので、事業者側の方からも積極的に提案して「賑わい」や「伝統との接続性」や「人の流れの回遊性」みたいなプランで迎えに行く姿勢もできていくといいですね。
結局「両側のベタな正義」に引きこもっていないで「メタ正義」に向けて両側からトンネルを掘っていく機運を高めていくしかないのだと思います。
「下北沢のようにちゃんと誰かが責任持ってグリップできてれば」、適切な「カオスな悪所感」と「再開発」の両立は可能だということはわかっているわけで、それと同じような条件をいかに人工的に作っていけるかを考えていけるといいですね。
6. 「相互理解」は進みつつある感じは結構ある毎日SNSでの罵りあいとか見てると「相互理解」なんて程遠いように見えますが、日本は徐々にちゃんとそういう「対話」が可能な国になってきてるように思います。
さっき紹介したNHKの再開発番組とかでも、
・人口が増え続ける福岡は攻めの再開発で九州島から東京に流出しないハブを作る必要がある ・東京の一部ではオフィスビルの過剰さが見えてきている地域もある ・下北沢の再開発は丁寧にやって成功した ・その他有名な岩手県のオガールプロジェクトの紹介など
…という感じで「ちゃんと場合わけしてそれぞれ話すことが必要だよね」という当たり前のモードになっていて凄い希望を感じました。
一昔まえの討論番組って、みんな人の話聞かずに、
だいたいねェ、もうビルなんて建てる時代じゃないんですよ!
とか何の前提条件のどういう場所の話かも決めずにオッサンどもが放言しまくるような討論が多かったですけど、「そんなのアホらしいよね」という情勢にはどんどんなってる感じがする。
上記番組では、平田オリザさんのようなどちらかというと「反・開発」寄りであろう人物と、経済開発推進派の人とが同じ目線で「それぞれの場所に合ったそれぞれ違うやり方が必要ですよね」という当たり前の話をしていて凄い良かったんですよね。
そういう「当たり前の具体的な話」がちゃんとシェアできるようになったら、「朝まで生テレビ」型の「討論という名の無責任放言大会」みたいなのがいかにバカバカしいか、日本人の集団は「理解できる」はずだと思うので。
そういう「具体的な話」を少しずつ積んでいって、「大雑把な話を放言しまくってるだけじゃダメだよね」という当たり前の空気を共有するところまで行けば、日本は過去20年の混乱が嘘のように「必要なことを必要なタイミングに必要な分量だけ」サクサクと打ち手として打っていける国になるはずだと思います。
一個前の記事で書いた「イーロン・マスクが愛する日本のゲーム」の話でも書いたような、「自分たちの強みである連携」を徹底的に使っていけるような情勢に持っていけるといいですね。
そういうビジョンについて詳述した以下の本もぜひよろしくお願いします。
『日本人のための議論と対話の教科書』
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つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年1月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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