『ビジネスに活かす「論語」』(拙著)プロローグの「バランスの中から調和が生まれてくる」で、私は次のように述べました――礼というものは儒学があげる重要な五つの徳目・五常の一つですが、これは決まった形式を指していると考えていいでしょう。(中略)一方、楽というのは音楽のことです。この礼と楽が一つになって、バランスを形成しているのです。キリスト教では賛美歌を歌います。仏教では読経自体が一つの楽を奏でていますし、その合間に鐘をチーンと鳴らしたり、木魚をポクポクと叩いたりします。これらは礼楽が合わさったものと見なすことができるでしょう。礼ばかりでは形式的になりすぎて堅苦しさだけが残ってしまうし、楽ばかりでは節とケジメというものが失われてしまう。その両者のバランスがうまくとれて、人の心は和み、厳かな雰囲気も保てるのです。すなわち、礼楽が揃ったときに一つの調和が生まれるわけです。そういうふうに調和をすることが一番大事であると、『論語』は教えています。
孔子は「中庸の徳たるや、其れ至れるかな」(雍也第六の二十九)と言うぐらい中庸を最高至上の徳として、真善美・知情意・詩礼楽等あらゆる面でバランスの取れた人物を君子として尊び、自身も此の最上の徳の境地に近付こうと修養を積み重ねました。孔子流の考えとは、礼と楽とが相俟ってバランスを取り情操も成長させて行くというものです。礼楽を楽しむは、非常に大事なコンセプトだと思います。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2024年2月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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