50代のサラリーマンの方々は会社からいつ自分の「最後のお勤め先」を告げられるか戦々恐々とその日を待ち構えます。同期が次々と子会社や関連会社に出向、グループ本体とは「永久の別れ」を告げるその時の気持ちは30年も頑張ってきた本体会社への感謝、それともここまでやり遂げた自己満足なのでしょうか?いや、そんな美しい話ではなく、単に給与がどれぐらい減り、自分はあと何年社会人としてグループ本体会社と紐一本だけ繋がったその新しい組織で仕事ができるのだろうというもっと現実味を帯びた悲壮な気持ちだろうと察します。
取引先銀行の支店長氏は気さくな方でカウンター越しにいつも小声ながら駄話をしていました。「私もそろそろお呼びがかかるんですよ。そうするともうこの銀行とはお別れです。初めの1-2年は出向なんですが、その後は転籍。一応、出向先が決まった時一度だけは「拒否権」があるんですが、その次に提示される会社はもっと条件が悪いケースが多いみたいで、多くの人は「拒否権行使」をせずにその会社に移るんです。だけど、今まで銀行で管理職を長くやってきて突然出向先で現業に戻るんですよ、できない仕事もあるじゃないですか?銀行マンってまるでマネーに精通していると思われているらしく、経理部長あたりのポジションになるんですが、私、経理とか実際に自分でやったことないんですよぉ」。
この話は差し障りがあるので少し前のケースですが、実話です。出向の年齢は55歳が仕切目でその前後あたりからバタバタと外に吐き出されるのです。なぜでしょうか?日本はクビを切れないからです。クビを切れない日本企業は子会社、関連会社を抱きかかえ、そこに自社のポリシーがカラダに染みついているような社畜社員を投入し、グループ全体を一つの帝国とするのです。
しかし、受け入れる側も大変です。毎年決まった人数だけ親会社から人材を受け入れます。好き嫌いにかかわらず、親会社の人事部から「今年も頼みます」の一言です。その人材がどれだけ優れているのか、どのような能力があるかは親会社の人事が「お墨付き」を与えますが、それは「イカ墨」ぐらいほとんど口先だけであります。本体の人事部長は「今年もはめ込み作業は順調だな」ぐらいのものです。