安岡正篤先生は指導者に求められる三つの恥として、「親孝行をしない」「優秀な人材を活用しない」「人のために尽す徳業がない」を挙げておられ、此の事はそれなりに皆尤もなことだと思います。「親孝行をしない」ということで言えば、『孝経』の中にも「孝は徳の本なり…親孝行というのは全ての道徳の根本である」とありますが、自分の親を愛せない者がどうして妻を愛したり子供を愛したり出来るのかということです。まして他人おいてをやでしょう――上記は以前、私が「北尾吉孝日記」中で述べた言葉です。
「親孝行をしない」については、正に上記の通りです。本ブログでは以下、残り2点につき私が思うところを申し上げておきます。先ず、「優秀な人材を活用しない」。例えば既に亡くなった方で名前までは出しませんが、嘗て某企業の経営者は二番手を悉(ことごと)く切ることで有名でした。副社長をぱっと切り捨てて言うセリフは何時も、「人がいない、人がいない」と。自分のポジションに強く執着し、自分は続けられるようするために、周りに優秀な人材を置かなかったのです。残念ながらそうした類は現実に、いると言わざるを得ません。
対照的には、米国の「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギー(1835年-1919年)が挙げられます。彼の墓碑銘には「己より賢明な人物を周辺に集めし男、ここに眠る」と書かれています。リーダーとして大事なのは、如何なる大志を抱き如何に優秀な人を多く集わせて、彼等彼女等と共に自分がやるべきを明確にし、その志念を共有化して行くというプロセスです。志という字は武士の士に心と書きますが、「士という字を見ると、十と一。十は大衆、一は多数の意志を責任を持って取りまとめること、あるいはその人たちの一般的指導者を表します。ゆえに志とは公に仕える心、多くの人を引っ張っていく責任の重たい士の心」(拙著)を言うのです。