ホワイト社会は息苦しくないのか?
一方でホワイト社会は評価経済社会をビジネス領域を超えて、プライベート空間での振る舞いも評価対象に入る。つまり、「口は悪いけど心は優しい人」とか「格好はだらしないけど内面はいい」という存在を許さない。
とにかく見た目がクリーンでなければ中身を見る評価の土台に立つことはできない。表面がホワイトでないと中身を見てもらえない。だから品行方正、とにかく見た目を整えることが最低限の関門であり全員がまずそこを乗り越えて初めて中身を整える段階に入る。
本当にそれは健全なのか?人の数だけ無限大に存在する多様性を無視していないだろうか?ホワイト社会とは良きを受け入れるといえば聞こえはいいが、その実排他的な側面を強く持ち合わせている。
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個人的にはホワイト社会は息苦しさを生み出すと考えている。排他的側面が強すぎるし、誰もが表面を整える力を持っているわけではない。強烈に個性的な強い内面にカリスマ性を持つ人物は排除されてしまう。そんな社会の到来は、極めて恐ろしいと感じてしまうのは筆者だけだろうか。
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