1. トマス・ペイン「コモン・センス」

    1776年、アメリカに移住していたトマス・ペインが「コモン・センス」を発表します。読者をあおるような文章で、単刀直入に王政や世襲制の危険性を説き、イギリス国王の統治の正当性を否定しました。歴代イギリス国王を「王冠をかぶった悪党」とこきおろすなど、独立を唱える扇動的なこのパンフレットは衝撃を与えました。

    「コモン・センス」は1776年以内には50万部出版されたそうです。当時のアメリカ植民地の白人人口は200万人程度ですので、非常に多い出版数だったようで、世論を独立へ動かしたと言われています。

    トマス・ペイン

  2. 1776年7月4日、独立宣言

    1776年7月4日、独立宣言が採択されました。

    前年から始まっていたイギリス本国とアメリカ植民地との闘争は、この日から「アメリカ独立革命(独立戦争)」となりました。これは、イギリスの大艦隊がニューヨーク沖に到着した危機的状況の中での決断でした。独立宣言はイギリスに対しては宣戦布告、各植民地に対しては臨戦態勢づくりの要請も意味していたのです。

    独立宣言は、トマス・ジェファソン(のちに第三代大統領)が起草し、以下のように大きく3つの構成要素に分かれています。

    前文:ジョン・ロック「統治二論」にあるように、自然法に基づく革命権を主張。 本文(主文):ジョージ3世の悪政を断罪。 結語:本国からの分離・独立を論理的帰結として宣言。

    (独立宣言)

    独立宣言は、奴隷制については何も触れていないものの啓蒙思想をみごとに表現しており、アメリカ人だけではなくすべての人々に対しても適用されうる人権の考え方を表明したものでした。

    それはアメリカ革命に普遍的な訴求力を与えるために不可欠だったのです。

    1775年にエドマンド・バークが演説したように、アメリカ人は「遠方にある政府の悪政を予感し、そよ風の中に腐臭が漂うならばいつでもそこに暴政が迫りつつあるのを嗅ぎ分けている」ので、苦痛を実際に被る前に苦痛を予感していた、といえるでしょう。

    フランス革命を痛烈に批判したエドマンド・バークは、アメリカ独立革命は支持していたのです。

    アメリカ独立革命は、新しい自由を作り出すためにではなく、古い自由を維持するために実行されたのです。

    植民地人は3つの立場に分かれました。

    独立を支持する愛国派(パトリオット)と、イギリス本国への忠誠を誓う忠誠派(ロイヤリスト)、どちらも明確に支持しない無党派層(これが一番多い)です。

    独立を支持する愛国派の指導者たちは、イギリス国制の諸原理に対して自分たちは抵抗しているのではなく、まさにその原理に拠って抗議している、と主張しました。

    しかし、愛国者によって忠誠派の財産の強制的没収も行われたそうです。

    イギリスの政治的自由のための戦いに連なっていることを示すため、アメリカの愛国派(独立派)は自分たちを「ホイッグ」と呼び、イギリス王の支持者たちを「トーリ」と名付けました。

    ※「ホイッグ」と「トーリ」 イギリスの初期の政党 「ホイッグ」:議会とプロテスタント諸派。のちの「自由党」 「トーリ」:王とイングランド国教会を重視。のちの「保守党」

    ※「ホイッグ」と「トーリ」についてはこちらもご覧ください。

    イギリスの歴史(13)イングランドの名誉革命|自由主義研究所
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  3. 邦憲法(州憲法)の制定

    ※「邦」と「州」について 日本語の慣例では、合衆国憲法の制定後、アメリカ合衆国が成立した後の個々のstateを「州」、それ以前を「邦」と訳すそうです。

    独立宣言を受けて、1776~77年、多くの邦が邦憲法(州憲法)を制定します。イギリス本国の暴政からの独立だけでなく、将来の暴政を封じることも革命の目的だったのです。

    権力分立の原則を重視しましたが、執行(行政)・立法・司法を分離する際に想定されたのは、各権力を他から守るということではなく、司法権と立法権を(とくに立法権を)執行権(行政権)から干渉されないようにすることでした。

    例えば、ヴァージニア州憲法は、初めて制定された正式の州憲法(1776年)です。

    ジョージ・メイソンの起草した権利章典は優れており、ジェファソンが独立宣言を起草したときをはじめ、他の州で権利章典を制定する際に模範にされました。第13条には「平時における常備軍は、自由にとって危険なものとして回避されねばならない」とあります。

    最後まで読んでくださりありがとうございました。

    次回に続きます。

    編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2024年2月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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