それに対して、阪神淡路大震災では、後藤田正晴が元に戻す以上の援助はしないという愚かな方針を立てたので、神戸港は釜山港にハブ港湾としての地位を奪われ、復興は大失敗に終わった。

福島第一原発の場合なら、市町村を合併して、もとの市町村の利害など超越して復興すべきだと思う。だいたい、もとの通りというのは、市町村の首長や議員、有力者の意見を聞きすぎるからだ。

関東大震災の復興でも、戦災や伊勢湾台風の後の名古屋の復興も、信念と責任感を持ったリーダーがいたからこそ成功した。

能登半島は元に戻すのでなく、白地に絵を描いて未来を開くべきだ。そのためのアイディアをいろいろ記事では、提案してみた。

この記事へのコメントでは、能登半島在住の子育て世代の方から、

「地震前からこの超過疎地域の将来に対する不安がありました。このまま、さらに人口が流出する寂しい半島にするのではなく、市町村の枠組みを超えた魅力ある半島にしてほしい」

「高校卒業後、仕事や学校がなくやむを得ず半島を出て行ったみんなが戻ってこれたり、何より私自身、能登半島に生まれ育って、子育てをしてよかったと自信を持って言えるようになりたい」

「超画期的な取り組みを期待したい」

といったコメントがあったが、それが正しいと思う。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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