富士通の問題と今回のダイハツの問題は似ているところがあるのです。つまり富士通は英国子会社で会計ソフトをもともとを作ったICL社で現富士通サービシーズに責任を押し付け、親会社の富士通の立場としては出てきていません。ダイハツのケースではトヨタが完全掌握している会社ですが、ダイハツの社長のコメントと共にトヨタの佐藤恒治社長が記者会見しています。ただ佐藤社長は「豊田章男会長がグループガバナンスの見直しに取り組んでいると説明。今後、豊田会長が一連のグループの不正問題の反省を踏まえたガバナンスの考え方を改めて説明する」(産経)と述べ、実質的に責任者の弁というよりスポークスマン的会見に留まり、肝心の豊田章男氏が出てきていないという構図になっているのです。
個人的に感じるのは国際ビジネス社会において買収や合併が頻繁に起き、会社の責任は何処にあるのか、その所在が分かりにくくなってきた中でUltimateな支配会社の絶対的権力と統治体制がある程度明白であるならば支配会社のトップが早めに火消しを行わなければ今や世間は収まらないとも言えないでしょうか?
ダイハツ問題については正直、トヨタにとって経営スタイルの根幹を揺るがす問題になりかねません。グループ内で短期間に3つも型式取り消しが続いたのです。他の会社では起きていないのです。以前も指摘したと思いますが、私にはトヨタがあまりにも「崇高な立場」にあるのではないかと思うのです。子会社からしたら足を向けて寝られず、トヨタの人がくれば大名行列ではないですが、上げ膳据え膳の対応をしているような気がします。
もしもそうだとすれば企業間の相乗効果は生まれません。やらされ感は今の時代、全く機能しないのです。80年代までの質実剛健といった発想ならそれもアリだったのでしょうが、いま、そんな言葉を発すれば「結構です!」と言われるでしょう。
時代の変遷の中で経営の進め方をどう見直すか、そして経営トップが子会社のことまで含め何処まで認識し、責任を負えるのか、企業統治の難しさを改めて感じた今回の一連の騒動でありました。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年1月17日の記事より転載させていただきました。
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