私は以前よりも人々の主張がバラバラになり、何一つ、骨格となる太い柱を中心とした強いベクトルを持つ大きな枠組みが消え、個別の主張が増えてきたと考えています。人々はなぜ我儘になったのか、あるいは自分の自己主張をかつて以上に強く訴えるようになったのでしょうか?多分、訴える人の熱意は昔から変わらないのですが、その訴えに耳を貸す人が増えた、それが現代社会の特徴であるように感じるのです。
グレタ嬢が環境問題に強い発信力を持ち、世界で名が知られる存在となりましたが、30年前ならばそれは起きなかったかもしれないと思っています。なぜなら一高校生がどれだけ声を上げてもそれは無数の声の一つでしかなかったからです。ではなぜ、人々は彼女の声に立ち止まったのか、あるいは彼女と同等の年齢の人たちが賛同の輪を広げたのでしょうか?SNSのチカラもありますが、私にはフラストレーション、そして抑圧された社会への反攻だったのだろうと思うのです。
その背景として私はルールが増えすぎた社会に焦点を当ててみたいと思います。人々は統治をするためにルールを作ります。例えば日本に法令がいくつぐらいあるがご存知ですか?ざっくり9000ほどあります。そして国会では毎年数十から百近い法律を新たに生みだしています。もちろん、この傾向は世界のどの国でも同じです。なぜ、法律がどんどん増え、減ることはないのでしょうか?
30年前にアメリカで仕事をしていた時、アメリカが法治国家という点になぜ、という質問をしたことがあります。その際の答えは「アメリカには様々な人種がいる。地域による文化的相違も大きい。だが、人々はシアトルでもフロリダでも同じ味のマクドナルドが食べられることを求めているからだ」というわけです。比喩混じりなのでこの表現の意味がご理解しにくいかもしれません。
移民国家のアメリカではそれぞれの人が違った文化、社会、宗教などの背景を持っている中でそれぞれが道徳心という不文律に頼っていては社会が成立しないので成文化された法律という縛りを施すことに意味があるのだと。この法律が企業になればマニュアルという規範になるわけです。マクドナルドの話とはそういう意味なのです。