現在はたぶん、その進化系である客の「勝手ファンクラブ化」が起き、時として客が営業員になり、「私、これ使って、凄く良かった!」と友人に言うことで口コミマーケティングの展開が自然に進み、店側が逆にそれをアシストするようになってきたのでしょう。
ところで、食事をするとなればレストラン/飲食店内で食べるのが主流でコロナが去った今、持ち帰りは一時期程ではないと思います。なぜ、人々は混んでいる店に並んでまで入りたがるのか考えたことがありますか?「うまいからに決まってるだろう」と言われればそれまで。実はそれだけじゃないと思うのです。一種の「同じ釜の飯を食う」心理状態になるのだと思います。
例えばラーメン屋のカウンターで知らない客同士並びながらズルズルすするのは「おっ、うまいな。しかし、お主のもうまそうじゃ」という「共生」に他ならないのです。誰でも店に座れば声には出さなくても必ずきょろきょろ偵察しながらも満足感のハーモニーが生まれていくのです。
テイクアウトやデリバリーだとこれがまず生まれることはないのです。
デジタルネイティブと言われながらも結局ウェットな世界をもとめていたりするものです。若い人はその使い分けが上手なのです。私が会長を務めるNPOでもこのところ若い人の参加がものすごく増えているし、来年1月の年次総会では過去最大級規模の役員入れ替え戦がありそうです。つまり、若い人がどんどん参加してくれているのです。デジタルネーティブの人の生き方とは思えないですよね。日本でもイベントをやれば参加するほうも出店するほうも意気揚々、活気と熱気であふれていることでしょう。
報道だけ見ていると最近はいかにもクールにタイパを考えて賢く生きる、なんていう言葉が並んだりするのですが、私は案外昭和チックでウェットでイェーイ!と盛り上がりたいと思う世代がその満足感が得られなくてうずうずしているのではないかとすら思うのです。つまり、デジタル、AI、オンラインといった単語に翻弄され、本質を見落としている、そんな気がしてならないのです。
「人と人はつながる悦びに最も幸せを感じる」と私は信じています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年12月8日の記事より転載させていただきました。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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