黒坂岳央です。
若い頃に本で読んだり人から言われてもまったく腑に落ちないが、年をとるとしっくり来ることがいくつかある。人によってその対象は様々だろう。あくまで独断と偏見による3つの重要ポイントを取り上げたい。
人生は想像以上に短い誰もがアラサー、アラフォーになると感じること、それは永遠に続くと思っていた人生が「実は意外なほど短い」という絶対的事実である。これは年を取るほど強い実感を帯びるようになる。
30歳になった時は「20歳から10年はあっという間」と感じる。そして40歳になると「すでに人生は残り半分くらい」と事実に愕然とする。折返しに入ると人生の短さを強く実感する人は多い。しかもこれは事故や病気などの突発的な死を一切考慮していないので、人によってもっと短くなる。ちなみに独身男性の寿命の中央値は67歳、なんと40歳時点で59%も消化してしまっている計算になる。実感はないのに、事実として人生は驚くほど短いのだ。
古代ローマの哲学者セネカは今から2000年以上前に「人生の短さ」について次のことを論じた。
「人生は有限なのにまるで無限に続くかのようにつまらないことに時間を使いがちだ。有意義なことをせずムダに日々を過ごし、些細な感情の起伏に振り回され、他人の目を気にするより自分の人生を生きよ」
令和を生きる現代人のハートに響く時空を超えた言葉だ。だがこの言葉に実感が伴うのは、往々にして年を取ってからである。
子供のまま年をとる人間は人生経験や知識を経て、価値観は変化する。たとえば短気でせっかちな人は運転が荒い。だが、事故や違反切符を切られるなど痛い思いをすれば「運転に注意しよう」という価値観に変わる。この場合、「運転が荒い」という部分は変えられるが、「短気な性格」という部分は経験や知識だけで変化を期待することは難しい。例外はあっても一般的ではない。そう、人は子供の感覚のまま、肉体だけ年をとるのだ。これは若い頃はわかりにくい事実の1つではないだろうか。
子供の頃、大人になると攻撃的になり、友情より利害を優先するような人間に「変化する」と思っていた。でも大人になってわかった。それは違うと。
これは単に年齢を重ねることで、元々の性格が表に出やすくなっているにすぎないということだ。特に脳の前頭葉が萎縮すると、衝動的な行動の抑制が難しくなり感情失禁と呼ばれる行動が増える。公共の場でお店の人に怒鳴る老人などがその典型例だ。これは老化現象でもあるが、元々短気で攻撃的な性格が表面化しやすくなったという方が正しい。元来、柔和な性格の人は痴呆になっても柔和な老人なのだ(注:あくまで傾向と一般論)。
不健康は遅効性かつ複利欲しい物をある程度手に入れ、蓄財が進むとわかることがある。それは資産などより健康の方が圧倒的に重要であることに。資産100億円持っていても一生寝たきり生活なら、それは資産0円だが健康な人よりも不幸である。資産を持たなくても、健康であるなら人生は立て直せるし、人生の幸福度とは現状より未来の展望の明るさの影響が大きいからだ。
筆者は極貧生活を送った時期があるが、「ここから頑張って盛り上げていこう」とボトムにいるが故に今からは上昇以外にないという感覚に胸をときめかせていた記憶がある。未来への希望があるなら人は現状が多少苦しくても耐えられるのだ。
それほど健康は重要なのになぜ、若い頃はそれを見誤ってしまって酒やジャンクフードに溺れて健康を害してしまうのか?その理由は不健康は遅効性であること、それから複利になることが挙げられる。