繊細さを武器に攻撃してはいけない
繊細さを抱える生きづらさはある。筆者自身が特定分野で大変繊細で今でも傷つく経験があるのでそれはよく理解できる。差別的な発言や過激な言葉は慎むべき、というのは確かにそうだと思う。これらは表現の自由というより、コンプライアンスの範疇だろう。
しかし、あまりに周囲に配慮を求めすぎる姿勢はある種の「暴力」である。今回取り上げている繊細ヤクザは周囲にばかり配慮を求め、相手と対話する姿勢はない。「周囲は弱者である自分に無条件で従え」という一方的な強制力を持って有無を言わせず排除しようとする。武力行使で相手を従わせる戦争に共通する暴力性がある。その攻撃的な姿勢から「繊細”ヤクザ”」と名称が付けられているのだろう。繊細さが悪いのではない。繊細を盾に一方的な暴力を振るう姿勢が問題なのだ。
旅行の写真を投稿すると「お金がなくて旅行にいけない私への自慢ですか!?」と攻撃し、試験対策の動画を投稿すると「試験に合格できなかった古傷が痛むのでもう投稿をやめてください」と攻撃する。弱者だからなんでも守られるべき、周囲が一方的に配慮されるべきという論理が通ってしまうなら、世の中からあらゆるビジネスは消えてしまう。
高級レストランは「貧乏人のコンプレックスを刺激するからやめろ」と言われてしまうだろうし、格安店は「こんな店しか利用できない自分が惨めになるからやめろ」と難癖をつけられてしまうだろう。こうなると一周回って繊細ヤクザ側も「ではあなたも弱さを盾に周囲を力づくで従わせている。その暴力は慎むべきでは?」といった道理が通ることになってしまう。不毛な議論である。
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筆者も記事や動画を見て傷つくことはある。だからといって投稿主の空間へドカドカ土足で踏み込み「自分は傷ついたぞ!どうしてくれる!!」などというつもりはない。嫌なら自分が見なければいいだけで、実際そうしている。キーワードのミュート設定をすればもう出てこなくなる。その選択肢は常に自分の手の中にある。
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提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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