1994年3月23日、モスクワ発香港行きの定期国際便で起きた航空史上最も衝撃的な事故の一つが、アエロフロート航空593便墜落事故だ。機長が子供たちに操縦体験をさせようとしたことがきっかけで、75人もの尊い命が奪われた。この事故は一体どのようなものだったのだろうか。

コックピットでの操縦体験:操縦桿操作と自動操縦の解除

 事故を起こしたのはアエロフロート593便。ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ・クドリンスキー機長、アンドレイ・ヴィクトロヴィチ・ダニロフ機長、イーゴリ・ヴァシリエヴィチ・ピスカリョフ副操縦士が操縦を担当していた。クドリンスキー機長にとっては、13歳の娘ヤナと15歳の息子エルダールが初めて海外旅行をするという、特別な意味を持つフライトだった。

子供に操縦桿を握らせて墜落し75人が死亡…“アエロフロート航空593便墜落事故”では何が起きたのか
(画像=事故の1年前にシャルル・ド・ゴール国際空港で撮影された事故機 Michel Gilliand –、『TOCANA』より 引用)

午前0時43分頃、クドリンスキー機長は子供たちをコックピットに招待するという致命的な決断を下した。

 乗務員たちは自動操縦が作動しているため安全だと判断し、まずヤナを機長の席に座らせた。

 午前0時51分、エルダールの番になった。エルダールが操縦桿を30秒以上操作したことで状況は急変する。約10キロの力を加えた彼の操作は、自動操縦のプログラムを妨害し、システムは手動制御モードに切り替わった。警告灯が点灯したが、ソ連製以外の航空機に不慣れだった乗務員たちは、異常に気づかなかったのだ。