「内(うち)に省みて疚(やま)しからずんば、夫(そ)れ何をか憂え何をか懼(おそ)れん」(顔淵第十二の四)――私が中国古典とりわけ『論語』から学んできたのは、自分の考える筋を通し義を貫くという生き方です。如何なる事態に直面しようとも主体性を持ち、そうした姿勢を崩さず勇気を持って貫き通してきたつもりです。私自身「人間の真実の価値は、なさねばならぬことをきちんとするところにある」(河合栄治郎)と思うのです。

『孟子』に「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」という、あの有名な孔子の言があります。世の様々な評判を一切気にせずに多くの反対があろうとも自分が正しいと信じた道を恐れなく突き進んで行く精神こそが、勇気というものだと思います。

編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2024年2月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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