抹香臭い話

さて上記で示したような筆者オリジナル? のインプットとアウトプット理論について、我ながらなかなか上手いモデルだと思う気持ちがある反面、これは下手をすると有用無用で分ける優性思想に繋がりかねない危険もある。また一般に少なくとも余りアウトプットをしない後期高齢者には生きる価値がないとなりかねない。

その矛盾を架橋するのは、やはりあの世の存在が必要であり、とりわけ仏教のような輪廻思想が合理的かとも思う。有能無能があるのは、それぞれのこの世での修行のため。老後とはあの世に行ってこの世を見守って恩恵をもたらし、また生まれ変わってこの世に貢献するための準備期間。そうすると何とか辻褄が合い完結感がある。

この機にタカラトミーの人生ゲームのHPを覗いてみると、「人生ゲーム タイムスリップ100」「ドラえもん人生ゲーム ひみつ道具で大冒険!」のようなバリエーションも出ているらしい。ここに「人生ゲーム拡大版 with三途の川&お花畑編」とかが加わっても良いかも知れない。しかしそうすると、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンズー教・・・、および各宗派からの抗議や要望が殺到してタカラトミー社は対応に苦労しそうだ。

宗教の社会的側面を言えば、国家や社会の統治のため、何とか法令や何とか諸法度で外側から統制するだけでは安定せず、内なる道徳律とでサンドイッチ構造にしなければ、なかなか治まるものではなく、その道徳律を担保する何らかの「お天道様が見ている」という観念の必要性から宗教が要請されてきた側面も有りそうだ。

宗教が蒸発した世界では、旧ソ連の盗聴と密告や、中国が代表する電脳監視社会が代りを果たす。ともすれば宗教が形骸化した日本で言えば世間が神様となる「世間教」(山本七平の言葉で言えば「日本教」)が代りを果たしているのかも知れない。

先程、仏教、輪廻思想推しみたいな事を書いたが、各宗教は矛盾せず、ひょっとして「あの世」は、輪廻村、最後の審判村、唯物論村(これ自身は矛盾だが)、更にその細分のようになっていて住み分けているのかも知れない・・・とここまで書いて、だいぶ抹香臭くなって妄想っぽさも出て来たので、今回はここで筆を置く事とする。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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