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老母との会話

私事、連休中帰省し実家の近くの介護付き老人ホームに揃って入居している両親を家族で見舞った。陽気も良かったので、老父老母の車椅子を押して近所を散歩した。

以下、その際の老母とのやり取りの内容。

老母:とうとう90過ぎまで生きて来て、ホームのお金が掛かるし、これから医療費ももっと掛かるようになるかも知れない。長く生きてて一体何の意味があるのかねえ。

筆者:おっかさん、そんな事言わないで下さい。お金は何とかなる。人は何時かは必ず死ぬ。自分も何れそうなる。遅いか早いかの違いに過ぎないよ。

老母:そもそも、人生って何なんだろうねえと時々思うのよ。

筆者:それは、昔のオモチャの人生ゲームみたいなもので案外単純。例えば松下幸之助みたいに大きな会社を創って残せば富も名声も付いて来る。そこで働く工員さんも名声は得られないかも知れないが、取り敢えず賃金は貰える。英語で言えば順番は逆かも知れないがインプットとアウトプット。それは、芸術家でも作家でも、家庭を持って子孫を残して社会を紡いで行く事でも同じ。

老母:そんなもんかなぁ。でも例えばゴッホとか生前全く報われなかったじゃない。それを考えると世の中は不公平に出来ている感じもするのよ。

筆者:ゴッホは亡くなってから後、作品が評価されて大バズリして超高額で取引されるようになって時間差で名声を得たね。

老母:死んでからじゃしょうがないじゃん、自分は何も感じないんだから。それにゴッホはまだいいが、無名の人は死んだ後も報われないよ。

筆者:確かに生きているうちに報われた方がよい。死んでからでも名声を得るなら満足という人も居れば、おっかさんのように意味がないという人も居るし、無名の人の件もある。だから、死んだあと何らかのあの世が在って、そこでプラマイがバランスすると想定しないと、インプットとアウトプット理論は完結しないんだと思う。

老母:あの世なんてないよ、死んじゃえば終わりだよ。

筆者:なら化けて出て来きちゃダメだよ、冗談々々。それは死んでみないと分からない。自分もまだ死んで無いから、今際の際にお花畑を通って三途の川を渡って、その先が在るのかどうか確かな事は言えない。でも自分は、何らかのあの世は在ると思うし、そう思ってた方が余生も安心して暮らせると思うよ・・・。

そこまで話してホームに戻って来た。老母はどうも唯物論者のようで、たぶん今更変わらないだろうから、仮にあの世が在ったとするなら、死んだ後に迷って化けて出ると思う。その際には、筆者のなけなしの宗教知識を説いてあの世に帰ってもらう以外ないだろう。