【人との関係性を変えるコミュニケーションとは?・2】日々仕事をしていて、こんなふうに思ったことはありませんか。「上司は、全てにおいて、自分たちより知識や能力があるべき」「経験の浅い部下には、いいアイディアは思いつかない」「こういう場合は、違うやり方をするのが正しい」「自分の経験では、こういう進め方をするのが定石だ」。きっと多くの人が、色々な場面で頭に浮かべたことがあるでしょう。では、なぜ、そのように考えるのでしょうか。
物事の見方や思考は気づかぬ間にパターン化
物事の見方や思考は、自分が育ってきた環境、仕事をしてきた環境、成功や失敗の経験などから形成されています。自分自身も気づかぬ間にパターン化していくわけですが、自分ではそのような前提や、思考の癖を持ち合わせていることに、なかなか気づけません。
自分では気づけないからこそ、前提を疑ったり変えたりすることも容易ではありません。前提の背景が強烈な成功体験であればあるほど、その傾向は強まります。
ハワード・J・ロス氏は、自書「なぜあなたは自分の『偏見』に気づけないのか:逃れられないバイアスとの『共存』のために」の中で、前提や思考の癖自体は、悪いもの・良いものというものではなく、生存するためにごく自然に備わった機能で、人間の正常な働き(防御反応)だと記しています。
ただ厄介なのは、そういった前提は時に、一方通行なコミュニケーションを生み出してしまうことです。
会社は一方通行なコミュニケーションだらけ!?
「コミュニケーションは双方向だ」といわれていますが、改めて日常を振り返ってみると、特に組織において双方向ではない一方通行なコミュニケーションが行われている場面によく遭遇します。
例えば、「上司が質問し、部下が(上司が考える正解を)答える」という役割が固定したような1オン1ミーティングや、「誰かが(自分が正しいと思う)指示を出し、誰かがその指示を受ける」だけのような会議です。また、「どちらの意見が有効か」を競ったり、自分の正当性を認めさせたりするような「ディベート的」な会議も一方通行なコミュニケーションです。
これらは、全て皆が自分の前提や無意識に当たり前と思っている因果関係に縛られて、「自分こそいい考えを持っている」「自分こそが正しい」というスタート地点に立っているから生まれてしまうのです。残念ながら、このような一方通行のコミュニケーションは他者との関係や物事の可能性を狭めます。
例えば、「どうすれば早期に人材育成できるか」という議論をしているとします。ある人は、育成される側のモチベーションが、人材育成の成否を決めると考えています。また別の人は、会社に入ってからではもう間に合わない、全ては採用にかかっていると考えています。この二人が、「自分こそ正しい」と自身の考えに固執してコミュニケーションが始まったとき、「どちらが正しいか」を証明し合うようになります。
これでは、双方で「どうすれば早期に人材育成できるかを考える」という共通のゴールを持ちながらも、二人が考える前提以上のアイディアは生み出されません。