人は、組織に属する限りにおいて仕事をするのなら、組織を離れているときには、仕事をしていないのである。仕事をしないのなら、遊んでいるのである。働き方改革の実践において、一定の要件のもとでコミュニティー活動が認められるのならば、そこでの活動は、組織の職務命令に基づくものではないので、遊びである。
遊びは仕事ではないから、無駄である。問題は、この無駄が仕事に転化するかどうか、即ち、創造が起きるかどうかということである。しかし、遊びにおいては、普通の仕事のように、成果につながる論理的展開が事前に巧まれてはいないので、遊びが成果につながるのは偶然であり、創造は偶然なのである。
コミュニティー内の活動は、自己目的化した純粋行為なのであって、成果を志向していないし、すべきでもない。それが成果として認知されるのは、気まぐれな社会的評価に基づく偶然である。しかし、評価を得れば、それは必然として説明される。
故に、組織において、コミュニティー活動を認めるとき、経営の課題は、第一に、偶然たらざるを得ない社会的評価の成功確率を引上げることであり、第二に、偶然の結果を必然の成果であるかのように説明するために、成功神話を創作することなのである。
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森本 紀行 HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長 HC公式ウェブサイト:fromHC twitter:nmorimoto_HC facebook:森本 紀行
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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