平安京の東北の隅は、京都御苑にある迎賓館の少し東で標高四八メートル、西北は御室小学校のあたりで標高56メートル、東南は現在鴨川の東側になっている福稲柿本町で標高32メートル、西南は吉祥院堤外町の桂川左岸の河川敷で標高約20メートルです。大内裏の北側の一条通大路が56メートルほどで、羅城門が標高19メートルくらいですから、高低差は南北で36メートルです。

平安京の南西は桂川がよく氾濫する低湿地で条坊が造成されない区画も多く、西京極大路も部分的にだけ建設され、南東も低湿地なので開発は遅れました。それに対して、現在の京都御所に近い北東方面は住みやすく、『源氏物語』に出てくる邸宅の多くもこの辺りにありました。

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豊臣秀吉が建設した御土居の範囲はほぼ九条通、西大路、鴨川で囲まれる範囲で、北は防衛上の配慮から標高が高い鷹峯あたりまで囲い込みました。京都駅のホームも御土居の跡です。いちばん北の長坂口は標高133メートルで、南の東寺口は19メートルです。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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