英話教室の疑問

筆者は子供に英語を教え、学習塾に通わせている。自分自身、独学で英語力を身に着けたので「どうすれば伸びるか?必要な努力量は?」こういったことは完全に熟知した上で、子供の英語学習をリードしている。

自分が子供を学習塾に通わせている理由は、与えられる教材を反復して解かせること、教室で集中して学ばせる目的である。だから学習塾からのフィードバックにはいつも疑問を感じる。「発音と会話が上手ですね」このように言われるが、自分が伸ばしたいのは発音や会話などではなく、英語を英語のまま理解できる回路形成に必要な基礎力だけである。本来、求めているフィードバックではないのだ(まあそこは自分が指導すればいいので、相手に期待していないが)。

ろくに基礎がないうちから発音や会話力向上などはまったく期待していないし、そもそも伸ばすための労力と時間をかけるメリットが皆無だと考えている。おそらく、学習塾としても「ほとんどの親は我が子が英会話力向上したら喜ぶので、会話力が伸びているフィードバックを出したい」というインセンティブが働くのだろうと推測している。このようなフィードバックを受けるとほとんどの親は「先生は会話が上手だと褒めてくれてるよ!その調子で話せるようになろうね!」と会話力向上を意識した応援をするだろう。だが基礎やインプットなき、アウトプットは論理的に破綻しているので会話偏重の教育は実を結ぶことはない。

つまるところ、真の子供の英語力向上には親の英語力、外国語教育における理解が極めて重要だと考える。

親ができねば子もできぬ

立場柄これまで数多くの英語学習者を見てきて共通していること、それは「親が英語ができなければ、子供は英語ができない」ということだ。もちろん例外はあるし、まさしく自分自身がその例外なのだがもうほとんどのケースにこれは当てはまると断言できると思っている。

これまで数多くの英語ユーザー、英語上級者に出会ってきたが、そのほぼ全員が親が英語ができるとか、海外でビジネスをするといった環境で育った人ばかりだ。「親は英語力と関心は皆無だが、とりあえず塾に放り込まれて詰め込まれたけど身についた」というケースを自分は一つも知らない。世の中は広いのでどこかに例外はあるだろう。だが、その例外を目指して我が子を塾に放り込むのは合理的選択とは言えず、部の悪い博打になる公算が大きい。

子供は英語を勉強していて山のように疑問を抱く。

「このinってなんで必要なの?どういう意味なの?」 「なんで英熟語はあるの?単語だけでいいんじゃないの?」 「パソコンを使えば答えがでるのに、なぜわざわざ英語を勉強する必要があるの?」 「学校で学ぶなら塾に行く必要なくない?」

こうした疑問に対し、場当たり的で逃げ口上のような回答を出し続けると子供は疑問が解消されないままストレスを抱えて勉強をする。そうなると勉強の主体性を失い、やらされ感の義務的にこなすようになってしまう。

語学の勉強に求められる時間は膨大なので、主体性なくしてやり切ることは不可能に近い。大人なら「将来役に立つから」「今の嫌な仕事をやめて職業選択の幅が広がるから」というインセンティブを使えるが、子供に必要性を説く方法は通用しない。主体的に勉強をさせるためには親の指導力、外国語理解、子供の特性、心理など多面的な力が必要になる。スクール任せだけで完成させることは現実的ではないのだ。

自分は下手に幼少期から学習塾に通わせるのはむしろマイナスになる事も多いと思っている。なぜならつまらなさを我慢し、義務感で取り組む期間が長くなるほど子供は英語嫌いになってしまうからだ。小さい頃からピアノを学んで音楽家へと大成するのは、本人に強い意欲がある場合のみである。無理にやらせると、かえってピアノに挫折したトラウマを与えかねない。結論、子供に英語力を授けたいなら、まず親からと思うのである。

 

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