評価される側はメリットづくし
その一方で評価される側は、評価する側にはないメリットづくしである。
たとえば政治家は名前が知れるほど評価される回数が増えるが、相応に影響力を持っていたり社会的信用があるものだ。またスポーツやアイドルも活躍するほど多角的な評価を受けるが、それだけ注目を集めているという証明でもある。知名度相応に応援する人は増え、社会的信用にもつながる。逆に誰からも評価される立場にないということは、存在が可視化されていないということでもある。だから誰からから批判を受けたら「やった!少しずつ自分を知る人が増えている」と喜ぶべきだろう。
ビジネスでも同じである。たとえば記事や動画を出すと良くも悪くも、必ず評価をされる。時には厳しい批判を受けて心を痛める瞬間は誰しもある。だがそれ以上に大きなメリットがある。様々な人からいろんな意見が集まるので、見ている人のニーズや価値観、考え方を吸収できる。結果、真の多様性を肌感覚で理解できる。
たとえば「お前はこういうところがダメだ」と厳しい評価をくだされたとする。この場合、真の意味でメリットを享受しているのは評価を受け取る側であり、評価した側はただただ評価に使う時間を失っただけで損をしている。だが本人は評価に使った時間を他の生産的な行為に使えたトレードオフに気づいていない。
誤解のないようにいっておくと、もちろん評価する行為のすべてが損だとは思わない。たとえば好きな相手を応援する推し活は日常生活に活力を与えてくれるし、応援している相手から「ありがとう!」と好意的な反応があれば相互にメリットを享受できる。あくまで避けるべきは「お前はダメだ」という脳裏に浮かんだ言葉を無編集で脊髄反射的、非生産的なコメントをぶつけることだと思うのだ。
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もちろん個人差はあると思うが、一流ほど他人に興味・関心がない人が多いと思っている。自分を高めることに時間と労力を注ぎ込みたいという価値観が社会的成功につながっているのだろう。逆に自分の人生の成長と発展を諦めた人ほど他人の足を引っ張ることに熱心な印象がある。積極的に評価される側を求める動機、それは圧倒的な自己成長への探究心なのだ。
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