それにもかかわらず、
日本の煙害被害者の中には「測定など無意味だ」と豪語する者が存在し驚きを隠せない。
自分が苦しめられている対象物質の実態を知ることを軽視し「測る=知る」ことを放棄するのはなぜか。
命と健康が脅かされていると言いながら、自身の置かれている状況を数値化し知ることを頑なまでに避ける理由が筆者には全く理解できない。
実は、日本では屋外用ローコストエアモニタが販売されていない。屋外空気質を安定的に測定するには、現状では個人輸入するしか方法は無いが不可能ではない。
中学生レベルの英語で可能なことではあるし、スマートフォン程度の価格帯なので高価すぎて購入できないということも無かろうとは思うのだが。
しかしそれよりも安価な記録式室内用エアモニタは数種が販売されており通販で入手は可能、それらを上手に活用する方法は有るのだが、それも嫌だと言うのではどうにもならない。
なぜエアモニタによる測定を無意味だと言うのだろうか。
空気質測定が無意味だと言うなら、彼ら煙害被害者は自身で無意味だと言うPM2.5の有害性や測定値に関心を持ち言及する必要も無いし、エアモニタを使用した空気質研究の論文を援用すべきでは無かろうと思うのだが。
また、気象学的分析や粒径分布などの考察や実測値提示も無しに「黄砂は無臭だから問題無い」との珍説を発しつつ環境問題を叫び空気汚染を主張するような迷言説は全く以て理解に苦しむ。
「無臭=無害」と根拠提示も無く断ずるのはあまりにも暴論であり、基本的な科学リテラシーが欠如していると判断せざるを得ない。
怒りをちからに一方的で理不尽な煙害被害を受け、被害者たちが冷静平常心ではいられない、強い言葉で何かを言いたくなる気持ちは、筆者も通ってきた道なので痛い程によくわかる。
ただ、「現在合法である行為者」に対する怒りの罵倒発言だけで解決できる問題ではないことを、煙害被害者には理解してもらいたいと思うのだが全く伝わらないのが残念な現状である。
怒りは盲目に通じる。
筆者はその発煙行為者による傲慢な理不尽に対する激しい怒りがあるからこそ今は「怒る」のをやめている。
怒る代わりに、傲慢な発煙行為者の身勝手な行動の結果が地域にどんな害悪をもたらしているかの公開証明を全世界の人がリアルタイムで見ることが可能な状態で、空気質測定により行うことにした。
言わば、一種の晒し行為ではあるが、当然ながら盗撮には該当せず空気質測定は正当な合法行為であり、彼らが撒き散らした煙を筆者に常時測定公開されたくなければ、近隣住民に迷惑な煙を出さねば済むことである。
因みに日本国内で一般に公開された各種エアモニタは筆者の運用する2基を含めても10基にも満たない。これは先進国中で最少であることを付け加えておく。
日本にあっては、空気の複合汚染が、と強気で叫ぶ者が多い割に、彼らが公開エアモニタを設置している様子も無い。
何らかの汚染を主張するなら他者に示すデータが無ければ主張の説得力も担保できないとは思うのだが。
これらに関連し、筆者の論考のうち、「行政が放置する生活環境の諸問題」の記事の一部について、掲載が不適切であると判断し部分削除を行った。
編集部より:この記事は青山翠氏のブログ「湘南に、きれいな青空を返して!」2023年12月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「湘南に、きれいな青空を返して!」をご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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