これらがその後、どれだけ経営に生かされたかは言うまでもありません。新規の不動産開発案件をやる時、部長は必ず完成後をイメージせよと言います。「さんさんと朝日が降り注ぐ中、開発した住宅から子供たちや会社に行くお父さんを笑顔で送り出すお母さん」と「夕方になっても電気もつかない住宅地を空っ風が吹き、落ち葉が舞う中、とぼとぼと歩く自分」の2つのシーンを思い浮かべよ、そして成功するシーンを常に頭に描きながら前に進むのだ、と。

北米に着任して最初に感じたのは「答えは一つではない」でした。10人が10人の意見を述べるのは何故だろう、そしてどれが正解なのだろうと考えた時、「どれも正解かもしれない」と思ったのです。日本では正解は一つなのです。だけど、例えば経済学では社会の実証実験が出来ないために失敗だったか成功だったか、その答えは誰も引き出せないのです。経済学が自然科学に劣るとされるのは自然科学は実験を繰り返すことで正解を引き出し、精度を高めることができる点なのです。

これはもしかすると政治にも言えることなのですが、判断に関して必ず反対派や批判が出るのです。全く異論が出ないことはあり得ません。が、判断はせざるを得ないし、異論が出てもそれに振り回されないだけの胆力を身に着けることこそ、経営者でありリーダーであるのです。

例えば私が北米で株式投資をし続けるのは判断力を磨くからです。買う時は誰でも買えます。売る時が一番難しい。それらの売買の判断をなぜ行ったのか、という視点からいつも自分を磨くのです。そういう点では投資信託を介していても何も学べないともいえます。

私がこのブログで様々な放言をしています。これも私が考えた上での判断の一つ。それがそうなるかどうかは私が決定者ではないので当然、外すことも多々ありますが、私がこう思う、という判断をしたらそれがどうなっていくのだろうか、と考えるとあたかも政策決定者のようで楽しいのです。

しかし、実践の経営判断は間違えるわけにはいきません。楽しいなどと言っている場合ではなく、常に緊張感をもって判断の積み重ねをします。故に今日も歩きながら、シャワーを浴びながら、あるいはトイレで座りながら考え続けるのです。「3秒で判断できるように」です。

どれだけ有名人や大御所とされる人が「こうだ」と述べたとしてもそれが正しいとは限らない、あるいは、100人のうち99人がそうだと言ってもそれが正解だと断言できるのか、これが私の立ち位置です。つまり、誰かからの受け売りではなく、それを聞いて自分の中で消化したのか、これがポイントであり、経営者の判断ではないかと思います。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年12月5日の記事より転載させていただきました。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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