移住・定住と移民

ただ、仮にそのような広域経済圏が出現し、就労機会が増えたとしても、そこに住む十分な人口を確保できなければ無意味。少子高齢化による労働人口の減少をどう食い止めるか、つまり、どこから新しい人口を持ってくるかが大問題です。

もちろん域内の人口を増やすためには、まず新生児の誕生を増やさねばならず、そのためには婚活と出産・育児を容易にする環境、そして当然ながら若者が地元で家庭を築きたくなるようなインセンテイヴ作りが欠かせません。また、域外からの新しい流入(Uターン、Iターン)を増やす仕組みも作らねばなりません。

こうしたことは私がここでいちいち言わなくても先刻地元の皆様は判っていることで、現に全国の多くの地方自治体が躍起になって動いています。しかし、国内人口が確実に減少する中では、成果を挙げるのは容易ではないでしょう。

そこで重要になってくるのが、外国からの移民(短期、長期、永住)の受け入れ拡大です。ご参考までに、新城市に例をとってみると、同市在住外国人のトップ5は次の通りです(昨年12月現在)。

ブラジル人:229世帯433人
ベトナム人:268世帯286人
フィリピン人:96世帯152人
中国人:36世帯99人
ネパール人:71世帯77人

ちなみに、ブラジル人は男性が、ベトナム人は女性と単身者が圧倒的に多いのが特徴的。

今後こうした外国人の三河への移住をどうやって増やすかが問題ですが、こちら側の受け入れ態勢が十分整っていれば、三河に移住しようとする外国人は結構多いのではないかと思います。

ただし、安全保障上の問題もあり、基本的には親日的な国の人を優先すべきです。その観点からすれば、アジアではベトナム人やインド人が最も有望でしょう。とくにベトナム人については、彼らがなぜ歴史的に親日的なのかは、本欄で度々詳しく論じていますので、ぜひ参考にしてください(バックナンバーは、私の公式ホームページに載せてあります)。

ただし、周知のように、近年のベトナム人の受け入れについては日本側にもいろいろな問題があります。無用な摩擦やトラブルを起こさないよう、事前にしっかりした受入れ体制を整備しておく必要があります。

例えば、言葉の壁問題についていえば、母国語で勉強ができる学校を作っておけば、真面目で勤勉なベトナム人が来日しやすくなると思います。ベトナム語で教育や講義ができる日本人は全国にかなり多数おり、彼らにとってもよい雇用機会になります。

この辺のことについては、国にも十分協力、支援してもらう必要があります。せっかく日本に来てくれたのに、日本側の不手際や不注意で悪感情を持って帰国するようではだめ。奥三河とベトナムの農村地帯は風土的にも似たところがあり、きっと素晴らしい「三河ベトナム村」ができると思います。

城址・古戦場の観光資源化を

こんな調子でいろいろ奥三河活性化計画を論じ始めるときりがないので、別の機会に譲って、最後に一つだけ。

言わずと知れたことながら、この地域の最大の魅力(セールスポイント)の1つは、徳川家康のホームグラウンドであるということ。NHK大河ドラマ「どうする家康」のお陰で三河の知名度はかつてなく全国的に高まりましたが、その割に、現在の三河がどんなところかあまり知られていないようです。ぜひこの三河への関心を一過性のブームに終わらせないように、行政当局者も一般市民の方々も今まで以上にしっかり知恵を絞っていただきたいものです。

私も昨年秋、大河ドラマに先立って、戦国時代の城や古戦場のいくつかを見てまわりました。岡崎城、吉田城、野田城、長篠城、設楽原、三方ヶ原、浜松城等など実に多彩です。新城市にはすでに設楽原歴史資料館、長篠城址史跡保存館などがあり、展示内容も充実してきています。これらは重要な歴史遺産であると同時に貴重な観光資源でもあります。「宝の持ち腐れ」にしていてはいけません。

新城市立設楽原合戦歴史資料館

しかし、実際に巡回してみて痛感したのですが、これらの折角の史跡や資料館などがバラバラな感じで、まだまだ工夫の余地があると思います。これらを相互にうまく関連させて、歴史学者や歴史愛好家だけでなく一般市民にも理解しやすいようにアレンジしたらどうでしょうか。

設楽が原合戦の古戦場に復元された馬防柵

また、例えば、設楽原の古戦場には連吾川沿いに馬防柵が一部復元されており、そこで年に1回火縄銃の射撃デモンストレーションも行われていますが、それを常設化し(毎週1回程度実演)、遠方からの観光客にも見学しやすいようにするとか、外国人向けに英語の説明やガイドも用意するとか。また、史跡めぐりの小型観光バスを走らせるのもよいのでは?

その際、参考となるのは、例えば、ナポレオンのフランス軍と英蘭連合軍が激突したワーテルローの戦い(1815年、ベルギーの首都ブラッセルの郊外)や、米国の南北戦争最大の激戦地・ゲティズバーグの古戦場(1863年、ペンシルヴァニア州)にある観光施設。私も何度か訪れたことがありますが、大変見ごたえがあります。行政当局者はぜひ現地を視察して、ヒントを得てください。なお、ワーテルローについては、私の公式ホームページに簡単な視察記が載っていますので、ご覧くだされば幸いです。

(2023年12月25日付東愛知新聞 令和つれづれ草より転載)

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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