するとどうなるかというと正直、お金がお金を生むので今の費消ペースだと75歳時点では減らないのでその後の人生でも支障はないだろうということが確認できたのです。

なぜこんなことを申し上げたかといえば自分の資産が10数年後どうなれば自分はどう暮らせるのかぐらい各々が知るべきだと思うのです。そして数字に無理があるなら今の費消ペースを抑える算段を早めにするということです。一方、資産が余ってしまうならどうにか処分する方法を考えるべきです。

私のクライアントの一人に子なし、ファミリーなしで十数億円の資産を持っている70代の方がいますが、彼は財産を使い切るためにばら撒き、浪費をしています。が、浪費の主流が酒になってしまい、朝から晩まで高級酒を飲み続けているのではた目からは明らかに不健康でいつ倒れてもおかしくないのです。

私は口にはしませんが、この方はある意味、お金を持っていることで不幸になったと思っています。生活水準はほどほどに抑制されたレベルでちょうどよいのです。つまりお金はないのも困るけれどありすぎるのも困るのです。

特に日本の場合、相続税が控えている中、相続を受けるほうも骨肉の争いが生じるなど家族親戚の不和が生じることすらあります。それでも人間の欲は留まるところを知らず、高級車にタワマン、別荘に高額の国内旅行で散財することしか使うことが無くなるのです。

私からすれば「その人生、本当にそれが楽しいのかねぇ?」と思うのです。もちろん、人の考え方は100人100様で私が講釈を垂れる筋合いは一つもありません。ですが、私としては人生第4コーナーを回ったら智慧がお金に勝るものだと思っています。がつがつ使うのではなく、賢人となるべく行動をし、もっと精神的ゆとりをもつ生活を前提にお金をどう配分すべきか、考えたいのです。社会への還元は一つの発想だと思います。

若い方でやみくもにお金を貯める方がいらっしゃいます。そういう方に「何を目的に貯めているのですか?」と聞けば「FIRE(早期リタイア)」とか「老後!」といわれるわけです。案外女性の方が多いのですが、「私は一生結婚しません。だから自分の身を守るためにお金をためてマンションを買って住処を確保してあとはささやかに暮らすのです」といわれると切なさを感じるのです。

マンションは減価するもの、だけど例えばインフレに強いゴールドを買っていれば確実に資産は切りあがっていくのになぁ、と思うわけです。

冒頭、人生、お金で苦労しない魔法はないと申し上げました。が、あえて言うならお金に振り回されるのではなく、お金を振り回すようになれば勝者になれるし、気持ちも楽になると私は思っています。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年5月7日の記事より転載させていただきました。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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