石破茂です。

今週11月27日(月)は、大分県の異業種交流会「志士の会」において「日本の危機」との演題で講演して参りました。

昭和20年8月15日、昭和天皇が玉音放送でポツダム宣言を受諾する旨仰せられた4時間半後、第5航空艦隊司令長官・宇垣纏海軍中将は11機の艦上爆撃機「彗星」を率い、大分海軍航空基地から沖縄方面に最後の特攻に出撃、還らぬ人となりました。

迂闊にも私はこの出撃が鹿児島県の鹿屋基地からなされたものだと思い込んでおりましたが、鹿屋基地が激しい空襲によって機能喪失状態となっていたため、第5航空艦隊司令部は8月3日に大分基地に移転していたことを今回初めて知りました。大分航空基地の跡地である大洲総合運動公園(旧大分空港)には「神風特別攻撃隊発進之地」と揮毫された慰霊碑が建っています。

玉音放送後の宇垣中将の行動は、停戦命令後の理由なき戦闘行為を禁じた海軍刑法第31条違反ではなかったかとの見解がある一方、玉音放送は停戦命令ではなく、8月16日午後4時に軍令部総長より各司令長官宛に発せられた戦闘行為の停止を命令する大海令第48号が正式な戦闘停止命令であり、それまでは戦闘は法的にも続いていたとの見解、或いは9月2日の東京湾上のミズーリ号艦上での降伏文書の署名が戦争の終結である等々、様々な見方があります。

8月15日から9月2日までの日本軍の行動、特にソ連軍に対するものについてはもう一度精密な検証が必要ですし、「軍刑法」の存在しない自衛隊の行動についても、どこまで詳細な規定があるのか、整備する必要の要否、またその内容等々について早急な作業が必要です。本来は有事法制制定の際に行っておくべきことでしたが、そこまでに至らなかったことを大いに反省しております。

宇垣中将の行動は、「責任者の責任のとり方」を考えるにあたっても極めて示唆的です。大東亜戦争・太平洋戦争において、本来誰がどのような責任を取るべきだったのか検証もされず、誰がどのような責任を取ったのかについても極めて曖昧なまま、今日に至っていることが、日本社会の現状の根本にあるように思われてなりません。

国会においても「責任を痛感する」「責任は私にある」とのフレーズは多用されていますが、「このような形で責任を取る」との言葉はあまり発せられた記憶がありません。我が身を顧みて、反省するところが極めて大であることを思います。

大分市の平和市民公園内のわんぱく広場には「ムッちゃん平和像」があります。今年8月2日には4年ぶりに第40回となる大分市主催の「ムッちゃん平和祭」が3000人の参加を得て開催されたとのことですが、これまた不覚にも、この存在も知りませんでした。

ムッちゃん平和像 大分市HPより

この「ムッちゃん」のお話(原作は「ムッちゃんの詩」・中尾町子原案・山口書店・1982年。関西共同映画社による映画化は1985年)は、多くの戦争悲話の中でも、その悲惨さと愚かさを強く訴えるという点において際立ったものです。

私は単なる感情的な「反戦平和」論に与する者ではありませんし、真に「反戦平和」の立場に立つには軍事について知ることこそが必要なのだと思っておりますが、だからこそこのお話は多くの日本人が知るべきものですし、世界に向けても発信せねばならないと痛感します。出来れば小学校の副読本として使ってもらいたいものですが、概要はネットで検索できますので、是非ご覧になってください。