何もかも政府頼みだから危機が来る

政府は総額112兆円もの来年度予算案を決めました。2年連続で110兆円台を超え、6年連続で100兆円を超えることになりました。異次元金融緩和はやっと「出口の入り口」にたどり着いたようです。予算編成を見ていると、財政は先進国最悪の状態からの「脱出」、「出口」はまだまだ先です。

CHUNYIP WONG/iStock

いつ起きても不思議ではない大震災が実際に起きたら、日本の金融財政の脆弱性が世界のマネー市場で一気に警戒され、危機に発展するに違いない。政界も政治資金疑惑で大混乱し、何も決められない状態です。政治危機と経済危機が重ならないよう祈るのみです。

世界的規模で様々な分野で高負担の時代に入っている。それに加え、特に日本の場合は、なにもかも政府頼みですから、税収に見合わない歳出が増え、それに伴い財政赤字を埋める国債残高が異常な規模に膨張しています。

大きな政府は、官僚にとって仕事が増えるので気分は悪くない。政治家にとっては選挙対策に使えるから、気にする様子はありません。そろそろ政府がやるべき仕事、やらなくてすませていい仕事の仕分けを真剣に考えてもらわなくては困る。

個人の金融資産は2121兆円もあるから不安がないという楽観論が聞かれます。52%を占める現預金の大部分は、金融機関銀行が国債などですでに運用しています。国債が暴落すれば、個人の金融資産も暴落する関係にある。13%を占める株も暴落です。この種の楽観論は禁物です。

新聞の社説は「借金づけの難局直視を」(朝日新聞)、「歳出削減の努力が見当たらない」(読売新聞)、「水膨れ予算に『平時』への道筋見えぬ」(日経新聞)と批判しています。その通りであっても、もっと大きな視野で日本の現状を考えてほしい。財政を中立的な立場から監視する「独立財政機関」の設置くらい、提唱してもらいたいものです。

新聞論調や識者のコメントは、専門的、テクニカルすぎます。国際社会、国内社会における政府の役割を考え直し、なにもかも抱え込まない選択をしなくてはいけない。そのくらいのことをいってほしい。日本の場合は、特にそうです。

21世紀に入り、特にこの10年、世界的な規模で、実に多くの分野で高負担、負担増の動きがみられます。それが一斉に起きています。「高負担の世紀」といっていいのかもしれません。

まず地球環境の持続可能性に伴う負担増です。地球温暖化抑止、CO2排出量ゼロ(カーボンニュートラル)には莫大なコストがかかります。20世紀まで地球環境の破壊、汚染のことをそれほど気にかけずに、経済、産業活動をしてきました。それができなくなりました。環境規制を強化し、資金を投入していけば、経済成長は鈍化します。

地球環境問題に伴う負担増についていけず、多くの途上国が国際協定から脱落しています。SDGs(持続可能な開発目標)も、費用対効果を熟慮して進めないと、成長の停滞を招くことになります。もっとも成長の停滞は、地球環境の破壊を防ぐのにいいのかもしれない。

予算案でもグリーントランスフォーメーション(GX)対策として、6600億円を計上しています。「経済GX移行債」と称し、10年で20兆円の資金を調達するそうです。国際協定という大義があるにしても、カーボンニュートラルはコスト高のあまり、その実現には懐疑的な見方が強まっている。