言語とは文字ずらの方言だけではなく、その地域ごとの文化がそこに内包されています。よって言語を習うよりもその現地で言語に含まれる真意をくみ取ることでようやく文章構成の立て方が理解できるわけです。私が一番難しいと思うのは京都弁で、この言葉に含まれる奇妙な自信と上から目線と他者を寄せ付けない閉鎖的文化を内包する点では超絶の日本語だと思います。
日本語は歴史的に非常に長い変遷を経ていますし、現代では年齢層ごとによる言葉遣い、流行語が一般化することもあります。例えば木村拓哉がGood Luckで多用した「ぶっちゃけ」は今でも普通に使う人が多いでしょう。もう20年以上前のドラマですが使う人は家族に伝播し、子供も使うことがあるかもしれません。ただ、ほとんどの流行語は消える運命で、今では「死語辞典」なるものも普通に売っています。
つまり言語は社会と地域と家族に密着した伝達手段であって100人いれば100人とも微妙に違う言語なのです。標準語をしゃべっても微妙にイントネーションが違ったりするのですぐばれて「出身はどちら?」となるわけです。
日本語の話を延々としましたが、言語の奥深さを分かっていただきたかったのです。これを前提に英語のオンライン教育を考えると私には至難の業だと思うわけです。
まず、先生になる人がどこの英語をしゃべるのか、であります。英語は世界中で使いますが、日本語の方言に近いわけで、あらゆる国の英語は地元風にアレンジされています。英国人とアメリカ人とカナダ人とオーストラリア人の英語は相当違うし、アメリカでも東と西では英語の表現が変わります。白人と黒人とヒスパニックの英語も違います。ましてや第二言語的な発展をしたフィリピン英語、シンガポール英語、香港英語、インド英語…これらは独特のテイストがあるわけです。
そんな中、日本でみられるオンライン英語はフィリピンの先生が多かったりします。もちろん英語の初級という意味では多少効果があるのかもしれませんが、うまくなる人はたぶん1%もいないと思います。言語は残念ながら現地で地域に密着して習得するしかないのです。あるいは日本にいる外国人と直接的な日常を通じて習得できるものなのです。
日本人の英語がさっぱりうまくならないのは学校で覚える、紙の上で覚えるという発想です。そもそも言語とは「通じる」ものではなく、「主張する」ものです。赤ん坊が言葉を初めて覚えるのも主張からスタートしています。だけど日本人の英語教育で主張なんて微塵もない訳です。
私の日本の友人の一人は幼少時代にロンドンで育っているため極めて強いブリティッシュ英語を操ります。ですが彼はアメリカン英語を聞くのは大丈夫ですが、しゃべれません。先日、ポルトガルの方にブラジル語はできるか、と聞いたら相手がしゃべることはわかるけど自分はまねができないと。同様にカナダのケベックフレンチの人がフランスに行けば変なフランス語になるので笑う人もいるされます。
昔、ブラジルにいた駐在員が覚えたブラジルポルトガル語は毎夜のように通った飲み屋の女性から。ところが男性表現と女性表現が明白に分かれる言語なのですが、それを知らずに日中、ビジネスで使ったら爆笑されたという逸話もあります。
私は英語を学ぼうとしている人には同時に文化や社会を学ぶことを推奨します。そしてどうしてそのような英語表現をするのかという奥を探ると面白いでしょう。私も時々「これ、英語でどういうかな?」とわからなくなる時、日本語のサイトで調べることがありますが、ほとんどがすっきり来ないのです。理由はたぶん、アメリカ英語だからでカナダではあまり利用されない表現が内包されるからです。
日本では今はアメリカ英語にシフトしています。例えば教科書販売の光村図書はウェブにアメリカ英語と明記しています。でもそれすら知らずに勉強している小、中学生はかわいそうといえばかわいそう。ましてや大人になってオンラインに駅前留学はよいモチベーションですが、併せてどんな英語を学んでいるのか、チェックすることで社会的背景も探るとより興味を持てるかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年3月17日の記事より転載させていただきました。
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