ドイツの高級週刊紙ツァイト(オンライン)によると、ドイツ全土で20日、90カ所以上、合わせて20万人を超える人々が極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)に反対し、「民主主義を守れ」と叫んで街頭に繰り出した(AFP通信は「30万人」と報じている)。
警察と主催者によると、フランクフルト・アム・マインとハノーバーだけで3万5000人がデモを行った。フランクフルトのレーマー駅では「ファシズムに反対する団結」や「ナチスの居場所はない」などのスローガンを掲げた横断幕を持った人々で溢れた。
抗議デモが行われた直接の契機は、ブランデンブルク州の州都ポツダム市(人口約18万人)で昨年11月25日、AfDの政治家や欧州の極右活動家のほか、「キリスト教民主同盟」(CDU)や保守的な「価値観同盟」からも数人の関係者が参加し、「外国人、移民の背景を持つドイツ人、そして難民を支援する全ての人たちを強制移住するマスター計画」などについて議論していたことが明らかになり、ドイツ国民や政界に大きな衝撃を投じたからだ。調査報道研究プラットフォーム「コレクティブ」が報じた内容だ。
ポツダムのレーニッツゼーでの会議の参加者の中には、ザクセン・アンハルト州議会のAfD会派リーダー、ウルリッヒ・ジークムント氏、バイエルン州のAfD連邦議会議員ゲリット・ホイ氏、元AfD連邦議会議員のローランド・ハートヴィッヒ氏(ワイデル党首の個人顧問)らも含まれていた。同会議が報道されると、AfDは「ポツダム会議は私的な会合」として距離を置くと共に、同会議に参加したワイデル党首の個人顧問を解雇している。
同会議にはそのほか、オーストリアの最大極右組織「イデンティテーレ運動」(IBO)の元代表マーテイン・セルナー氏の姿もあった。同氏はニュージーランドのクライストチャーチで2019年3月15日、2カ所のイスラム寺院を襲撃し、50人を殺害したブレントン・タラント(当時28)から寄付金を受け取っていたことが判明し、物議をかもしたことがあった。
ドイツのメディアによると、セルナー氏は会合で、北アフリカに最大200万人を収容する「モデル国家」を構築し、難民を収容するという考えを提示したという。第2次世界大戦の初めに、ナチスはヨーロッパのユダヤ人400万人をアフリカ東海岸の島に移送するという「マダガスカル計画」を検討したことがあったが、セルナー氏の「モデル国家」はそれを想起させる。
(同会議については、このコラム欄で「もう一つの『ポツダム会議』の波紋」(2024年1年13日)のタイトルで詳細に報じたから、関心がある読者は再読をお願いする)。
ポツダム会議の内容が明らかになると、AfDへの批判の声が上がり、各地で抗議デモが展開される一方、AfDの政治活動の禁止を求める声が飛び出してきている。
ハノーバーではニーダーザクセン州のシュテファン・ヴァイル首相(社会民主党=SPD)が集会参加者に対し、極右派に対して明確な立場を取り、人権と民主主義のために立ち上がるようにと呼びかけた。デモ参加者は「私たちはカラフルだ」「ファシズムは代替案ではない」などのスローガンが書かれたポスターを掲げた。