自己中

そして嫌われる人は自己中である。

たとえばビジネスの取引先のような利害関係者でなくフラットで対等な関係性の場合、基本的に待ち合わせ場所は両者の中間地点を設定することが多いのではないだろうか。ところが、自分に都合の良い場所、時間帯を指定し「ここにしましょう」というものの、相手からは「自己都合に良い場所と時間の指定をした」と透けて見られてしまう場合だ。相手に一切の配慮がない人は自己中として嫌われてしまうだろう。

また、時代の変化でかつては問題なかった行動が今は自己中と取られるケースもある。それは「アポ無し電話」だ。あらゆる調査結果で若者を中心に電話嫌いが増えており、電話はある種の暴力に近いと感じる文脈も存在する。いきなり電話をするのは発信者側に都合が良くても、それを受ける側の都合は完全に無視されている。

恋人や親友同士、またはビジネスで役職の違いでパワーバランスに差がある場合や緊急連絡は問題がないが、そうでない相手にすると自己中と取られかねない。間違っても営業電話なんてしてしまったら、信頼関係は地に落ちるだろう。

時代の変化でアポ無し電話が与える印象は非常に悪くなった。悪気がなくてもいきなり電話だけは絶対に控えた方が良い。

否定から入る

最後に否定から入る人は嫌われてしまう。

人間が会話をする上で、否定されたいと思う人など誰もいないだろう。「自分の過ちを抽出して具体的提案とともに指摘をしてほしい」といったビジネスコンサルティングの文脈は別だが、そうでない日常会話やビジネスの商談で否定する行為は極めて危険である。否定しなければスムーズに進んでいだであろう話でも、否定がきっかけで感情論の応酬になりかねない。

自分が実際に経験してきたケースで言えば、話の冒頭に「いや」「でも」とつけてしまう人だ。一般的に「いや、でも」という言葉は話の流れが転換する起点で使われる言葉である。「傘を持参した。でも雨は振らなかった」といった具合に、前文の流れを否定する場合に用いられる。そのため、相手の話を受けて「いや、でも」といえば、後続の話が違う流れになる展開を予想する。

もちろん、それが必要な文脈もあるだろう。しかし、否定語を使うクセが有る人の会話はそうではない。クセで使っているだけだ。これでは、相手にムッとさせてしまうだけで、使用するうメリットはないはずだ。あまり歓迎されることが少ない口癖のため、変更が推奨されるだろう。

悪気なく嫌われる人は、文字通り悪気はない。だからもったいないといつも思う。言葉遣いを学び、相手に配慮があれば人間関係は大きく変わるはずである。こうしたものは知識や技術であり、一度身につければその効果は永続するので学ぶ価値は大いにある。「悪気はないと思うけど…」と前置きした上で、一度でも発言に指摘を受けた人は検討する価値があるのではないだろうか。

 

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