北朝鮮金日成主席時代の1950年~1953年の「朝鮮戦争」は、北朝鮮による武力統一を目的とした韓国侵攻であったとの歴史的評価がほぼ定着している(マシュウ・B・リッジウエイ著『朝鮮戦争』恒文社1994年34頁以下)。武力統一が失敗に終わったため、金主席はその後「平和統一戦略」に転換した。
金主席は1978年6月15日の「談話」で、「我々は南侵しないことを幾たびも声明し、南朝鮮を共産主義化しないことについても再三強調している。我々は南北朝鮮の二つの体制をそのままにして連邦政府を樹立し、そのあとで単一国号で国連に加盟しようと考えている」と述べた(金日成著『金日成著作集』33巻朝鮮平壌外国文出版社1988年288頁)。
韓国米軍基地の「抑止力」金主席の「平和統一戦略」への転換は、「朝鮮戦争」の教訓から武力統一が不可能または著しく困難であることを認識したためである。その最大の原因は米韓軍事同盟に基づく韓国米軍基地の存在である。
米軍基地がないウクライナと比べ、韓国米軍基地の存在は韓国が他国から侵略された場合には米軍の参戦を不可避とするからである(米韓相互防衛条約3条)。日本が侵略された場合における日米軍事同盟に基づく在日米軍基地についても同じことがいえる(日米安保条約5条)。相手国にとって、日韓ともに米軍基地の存在が「抑止力」となっているからである。
韓国「非常戒厳令」の危機感今般の韓国ユン大統領による「非常戒厳令」は衝撃であるが、その背景には北朝鮮のウクライナ参戦と露朝軍事同盟に対する大統領の強い危機感がある。
北朝鮮の参戦は北朝鮮兵士の戦闘能力の向上とドローンやミサイルなど兵器の向上をもたらし、北朝鮮軍全体を強靭化する。さらに、露朝軍事同盟は韓国にとって脅威である。これらは南北朝鮮の力関係に影響を与えるとの危機感が大統領にあると言えよう。
大統領の「非常戒厳令」は大統領が認識する上記の韓国の危機的状況への対処であり、野党など「親北勢力」の監視と国防体制の強化を狙ったものと理解できよう。
北朝鮮は「武力統一」を放棄したのか?