日経に「マスク氏と習氏、危うい集権」と題してオックスフォード大学のポール・コリアー氏が寄稿を寄せています。なかなか含蓄のある内容で考えさせられるものがあります。氏はこう指摘します。
かつては政府が最大の理解者、次いで市場にとって代わり、今ではCEOになった、と。
この場合のCEOとは企業のカリスマトップに限らず、政治の世界でも適用できるとするところからマスク氏と習氏という二人が同列に並んだわけです。寄稿をかいつまんで言えばこの二人は過剰な自信を持っているが、世の中の不確実性は格段に高まっており、リスク要因になるということを指摘しています。
世界最高峰の自転車のロードレース、ツールドフランスなどを見ていると一日200キロを超える長丁場の中、必ず先頭グループ、ないし独走する選手がおり、時として本体グループと何キロも差をつけることがあります。一般の方が見れば「凄い」ですし、「彼は逃げ切れるだろう」と思うでしょう。実際、最後の10キロになっても数百メートルの差をつけていれば楽勝に見えるのです。ところが、集団の力はそんな甘いものではありません。そこからの数十人の体力を温存していた集団である本体が本気で追い上げ、瞬く間に先行者を「吸収」するのです。つまり、本体の実力とはレーサーの総和の力であり、先行者のわずかな力では結局、一場面の見せ物でしかないということです。
以前から私はイーロン マスク氏は先行者であると思っています。彼の打ち出したアイディアと作り上げた功績と実績はすさまじいものがあると思っています。が、今、本体である大集団が真後ろに迫っている、あるいはほぼ吸収するところにある、これがEV業界の実態であろうと思います。彼が値下げ攻勢をせざるを得なかったのは市場シェア確保と同時に在庫を捌かねばならないという見えないアングルもあるわけです。
今、街中では傷ついたテスラをよく見かけます。ぶつけてもたやすく直せないのでかなり醜い状態のクルマも散見できます。なぜならテスラは伝統的な自動車メーカーとは一線を画したユニークさを売りにしましたが、業界の全ての常識を覆すことが出来ないのです。その一つが修理工場だったのです。
それでもテスラに酔いしれる人は後を絶ちません。それは修理工場のハンディキャップ以上にメリットが大きいと考えているからです。いわゆる熱烈な支持層が群集心理化するわけです。