災害時の安心が命取りに
災害時において、安心を優先した結果安全が疎かになり悲劇になる場面がある。
韓国の地下鉄放火事件では約200人が亡くなった。煙が充満して炎が上がっているのに、座ったまま逃げようとしなかった。また、同国で起きたセウォル号沈没でも船の傾きに関わらず逃げ遅れが出た。
いずれも周囲の人間の動きに同調して判断を誤ったバイアスのミスである。日本でも同じように周囲の人たちの行動に合わせて逃げ遅れが発生している。災害時においては安心が安全を脅かすことがあるのだ。
ゆでガエルを回避せよゆでガエルという言葉がある。「まだ大丈夫」と我慢して湯に入っている間に温度が上がって死んでしまうという話だ。これはビジネス、生き方にも言えることがある。
現状維持を選択することは大局的な安全を脅かすのに、「今の生活になじみがあるから」という安心を優先してしまう。どこかでコンフォートゾーンから抜けて、リスクを取って挑戦しないといけない局面がある。人によっては異業種への転職、副業、起業、投資などが挙げられるだろう。確かに新しい挑戦には不安がつきものだ。不安は安心をつぶす。だがそのリターンとして、安全を獲得できるのだ。
難しいのは、人間の感情は否定的でも、状況はそうではない場合が多いということである。つまり、時には感情に逆行してリスクテイクをする挑戦が必要だということなのだ。
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安心に慢心すると、安全が脅かされる。安心と安全は同じ意味どころか、文脈によっては真逆の意味になってしまうのだ。
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