「適切な事実認識」から読者・視聴者を遠ざける日本の報道の現実の例
事実を伝えるだけで読者をだますことは、可能です。
例えば「群馬の森朝鮮人追悼碑撤去代執行」の事案では、朝日新聞は「司法は撤去まで求めてはいない」などと書いていました。しかし、これは当たり前で、訴訟で争われたのは撤去=代執行するかしないかではなく、団体側に県立公園内の使用権原があるかないかだったからです。
大前提として、沖縄県に対する国の代執行の判決が昨年12月にありましたが、これは代執行のために訴訟提起と判決が必要な地方自治法の手続によるものでした。対して、群馬県の代執行は、行政代執行法に基づく県の私的団体に対するもので、根拠法令が異なるために手続も異なっています。
朝日新聞の記事は、これらの事案の違いを勘案できない読者の誤解を生じさせるような記述になっていました。それを狙ったと断定できる根拠はないですが、SNS上の著名人や実名アカウントの反応に照らしても現実にそうなっています。
次に、共同通信が「海水からトリチウム検出」とだけタイトルに記述していたという事件がありました。これは純粋に海水中の濃度の話として論じるなら「海水から塩が検出」と同じレベルの話です。
他方で、福島第一原発事故に由来する原発排水をろ過したALPS処理水を海洋放出することが決定されて以降、周辺海域の数地点の放射性物質の数値をモニタリングすることが方針として決まっています。
なので、検出限界値未満の地点が多い中、検出された地点があることを書く分にはモニタリングの報道として意義はありますが、その際に重要なのは「放水中止や何らかの対応が必要となる指標を遥かに下回る」という点です。
この指標はWHOの飲料水基準よりも非常に厳しい基準なのですが、それは記事本文にありませんでした。モニタリング結果の報道という意味を持たせているのであれば首をかしげざるを得ない内容です。
しかも、なぜか「共同通信ヘイト問題取材班」が検出した時だけシェアしている…
これは「結果を出す」という言葉の多くが「良い結果を出す」という限定的な意味で使われるように、「検出した」という言葉の多くが「悪いものを検出した」という限定的な意味で使われることを悪用した騙しです。このような暗黙の限定的な比喩を【シネクドキ―】と言いますK22EOw
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) May 8, 2024
「シネクドキ―」という手法が用いられている、という藤原かずえ氏の指摘は、同様の事案を捉えクリティカルに評価するために有用で、覚えておいて損はないでしょう。
「虚偽情報」に限定されない「意図的に誤解を生じさせる情報」へのリテラシー関連して気になるのは、外務省が4月に「偽情報の拡散を含む情報操作への対応」として公開したものの中に、G7即応メカニズム(外国の脅威からの民主主義擁護に関するシャルルボワ・コミットメント)があること。
ここには、「意図的に誤解を生じさせる情報」に関する批判的思考のスキルとメディア・リテラシーの促進も謳われており(つまり、虚偽情報に限っていない)、事実のみを書いてはいるが背景事情が足りないために誤解が生じるような記事等は、この延長線上で捉えるべき事案なのかもしれません。
何のために事実を伝えるのか?
なぜ表現の自由や報道の自由が認められているのか?
「適切な事実認識」を読者・視聴者に持ってもらうこと、それにより政治に対する正しい評価をして政治参加し、もって社会を維持発展させるため、という側面が重要だからでしょう。
そうした問題意識の下に「事実をありのまま伝える」の優先度が相対的に低くなっているという関係にあるのならば、問題視することもないでしょう。しかし、その認識の大前提には「事実をありのまま伝える」ことは必要条件である、というものです。
現在の日本の報道機関やジャーナリストらの記事や番組やSNSでの言動は、むしろ「適切な事実認識」から読者・視聴者を遠ざけるものになっているケースが散見されます。
Worlds of Journalismの調査結果は、その実態を表しただけなのではないでしょうか?
編集部より:この記事は、Nathan(ねーさん)氏のブログ「事実を整える」 2024年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「事実を整える」をご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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