ただ、神道でも唯一神の宗教でも共通なのは自分に出来ないことを神に伺う点です。大きな違いは伺っても神道は答えがなく、教典がある宗教には暗示があるのです。よって日本人は神社でおみくじをすることで神の暗示を聞こうとするわけです。しかし、どう見ても非現実的というか、論理的展開は出来ません。唯一神の場合は論理性というより教義が普遍的な道理になっていると言えます。
では冒頭の稲盛氏の塾は宗教でしょうか?全く違う、と断言してよいと思います。吉田松陰に学べ、と思う人が多いのは何故でしょうか?松下幸之助や本田宗一郎の話が企業家の中でよく出てくるのはなぜでしょうか?それは「賢人の教えに学ぶ」ということなのです。
最近はどうか知りませんが、昔は面接で「あなたが尊敬している人は?」という質問があり、「二宮尊徳」などと答える人は多かったと思います。日本では英雄は生み出さないのですが、賢人はたくさん輩出しているのです。英雄は強いリーダーシップを伴いますが、賢人は学びの姿勢をより重視します。吉田松陰なんてハチャメチャな人生でした。現代に生きていたら何を言われるかわからないレベルです。しかし、様々な人が松陰に学べ、というからきっとすごい人なのだと多くの人が信じて、祭り上げられているのです。
こういうのは言い伝えや小説が引き金になることが多いのです。坂本龍馬はその典型であったと言えます。竜馬はある意味、数多くの小説家が作り上げた人物像であり、余りにも美しく描かれ過ぎているのです。あるいは、源義経は美男子だったと多くの人が信じていますが、実際には相当のブ男だったというのが現代の研究の主流です。
宗教は必要なものであり、人の心との対話をする場であります。ただ、時としてお布施という欲望の悪魔が潜んでいる場合があり、それに騙されることが社会問題になるのです。宗教家は日々の生活も質素で無欲というイメージがありますが、酒は飲むは女が大好きだ、といったかなり堕落した私生活をしている人もいます。そういう人を私は職業宗教家と呼びます。宗教的には何の威厳も価値もなく、単なる「葬式コンダクター」でしかないのです。
その点からは日本人は賢人に学ぶ方が溶け込みやすいのです。ただ、一部の人が宗教との区別もつかないのはそれを明白にしてこなかった社会にも問題があったのかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年11月26日の記事より転載させていただきました。
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