この話がどの程度に事実であるかどうかは、確認できないが、石山寺あたりで観る月の美しさは、京都市内からの比ではない。
しかも、石山寺の金堂は、のちの時代にかなり改造されているとはいえ、平安時代のものだし、多宝塔は紫式部の時代からそれほど遠くない鎌倉初期のものだから、その意味でも、タイムスリップするにはもってこいである。
ただし、最近は紫式部がまだ宮仕えに上がっていないころに、一部は書かれていただろうと考える人が多い。
そこでNHKは、紫式部が参籠していたら、『蜻蛉日記』の作者で藤原兼家の妾の一人だった藤原道綱の母と石山寺で語り合ったということにしていた。
本稿は私の新著『地名と地形から謎解き紫式部と武将たちの「京都」』(光文社知恵の森文庫)の一部を書き換えたものである。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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