一方で小池さんのエピソードとしては、今や誰もが知る「カイロ大学首席卒業」の疑惑よりも、個人的にはこちらが好き(?)なんですよね。竹村健一の番組アシスタントとしてTVデビューし、出世街道を登り出したころの挿話です。
何よりも小池の中に根深く残ったことは竹村から言われた、「テレビは何を言うかやないんや、視聴者は、そんなことよりネクタイがどうだ、とか、髪がはねているとか、そういうことを気にするんや」という言葉だったらしい。竹村は視覚が与える情報を侮るな、という意味で小池に言ったのだろうが、彼女はこれを極めて表面的に受け取ってしまう。内容ではなく、ファッションや表情が何よりも大事なのだ、と。 竹村が所有する神奈川県下の温泉付き別荘で、官僚やメディア関係者を集めて行われる研究会では小池が台所に立ち料理を作ることもあったという。 番組に出るようになった彼女は、「努力」を欠かさなかった。
『女帝 小池百合子』文春文庫、137-8頁
特殊な家庭環境で育ったこともあり、小池さんの場合、「本当は」私はこうだ、と思えるような居場所がない。むしろ、世界ははじめから壊れていて、どうせニセモノしか蠢いていないんだから、自分だって「虚像」を極めて勝ち残るしかないと思いつめて(ないし割り切って)いる。
『過剰可視化社会』でも触れましたが、結果的に小池さんの最大の「師匠」になった竹村健一は、日本にメディア社会学を移入した先駆でした(1967年の『マクルーハンの世界』)。あまり正確な紹介ではなかったようですが、しかしその弟子は「情報とは本質より伝え方」だとする主張をさらに粗雑に展開することで、時代を動かす政治家になってゆく。
たびたび書いていますが、令和を特徴づける感覚は「そもそも本物なんてない」です。真理という概念抜きでは存在価値を持たないはずの学者たちが、SNSで「今の勢いならここまで言ってOK!」のように極論を競い、安易にネット署名に加わっては後でデジタルタトゥーになる様子を見れば、よくわかりますよね(笑)。
今は失われていても「かつては本物があった」という昭和の感覚が、そこまで壊れてゆくまでの過渡期が、平成だった。そうした観点で、社会を揺るがした諸事件を振り返る対談となっています。多くの方の目に届きましたら幸いです。
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年5月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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