黒坂岳央です。

弁護士ドットコムのプレスリリースによると、ネットの誹謗中傷の多くは40-50代の男性によると明らかになった。同記事で詳細なデータを見ることができるが、端的に理由をまとめると誹謗中傷の原動力は「正義感」である。

ただし「オジサンは誹謗中傷をする」といった主語の大きい、脊髄反射的理解は勧められない。というのも、誹謗中傷をしているのは全体の一部の人に過ぎないためだ。回答1355の内、実行したものは13%に留まる。より厳密に言えば「ネットユーザー全体の内、少数の者が誹謗中傷をする。その内、半分近くは中年男性である」というのが正しい解釈だろう。

このデータは個人の肌感覚の値と一致すると感じる。彼らが誹謗中傷をするメカニズムを考察したい。

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誹謗中傷の動機

データを参照すると、誹謗中傷の動機は彼らなりの正義感から来ている事がわかる。「正当な主張だと考え、ストレス解消のため」というのが主要因だ。誰しも「こうあるべきだ」という意見を持っている点では同じだが、誹謗中傷は2つの問題点を抱える。それは主観的であること、それから暴力性を秘めていることである。

1つ目の問題点についていえば、極めて主観的であることにある。「自分が正当と考えること=正しい」ではないのだ。たとえば昨今、インボイス制度や電子帳簿保存法などで大きく社会が揺れているが、この制度についても賛成派・反対派で大きく意見が割れており、それぞれの立場から主張がなされている。両方の意見を聞き、対面的に考えれば必ずしも「絶対にこっちが正しい」と白黒正義の決着をつけることは難しい。「水の沸点は100度か?」という議論が起きない理由は、すでに決着がついているからであり、白黒つかない問題でしか議論は起きない。

世の中の意見は「すべてグレー」であり、グラデーションがついていることがほとんどである。そこを見落とすと、「100%こっちが正しい。相手は絶対に間違っている」といった客観性に欠けた主張をしてしまうのだ。

もう1つはアプローチが暴力的である点に問題がある。誰しも自由に意見は述べていい。だが問題の多くは意見の内容ではなく「伝え方」にある。たとえば記事や動画に意見を出す時は「自分はこう思っています。こう感じました」と伝えるのは何ら問題はない。これは単に個人の感想を伝えているだけだからだ。しかし、伝え方を間違えると意見や感想ではなく誹謗中傷になる。

これは実際に自分も時々受け取るのだが、誹謗中傷をする人物は「そんなバカでここまでよく生きてこられたな」とか「親の育ちが知れる」といった人格攻撃を始めてしまうのだ。どれだけ腹を立てても主張の問題指摘と人格攻撃には大きな距離がある。後者は侮辱罪に抵触しかねない。シンプルに言う側、言われる側、誰にもメリットがないため、やるべきでないのは明らかだ。