私が中学生の時、第一次世界大戦がはじまった理由はオーストリア ハンガリー帝国の皇太子がサラエボで暗殺されたから、と習いました。多分、多くの方がそうであろうと思うし、今でもそう思っている方が大半なのでしょう。しかし、あの大戦のきっかけは複雑怪奇、副次的な理由が絡み合って起きたものであり、サラエボ事件はその引き金の一つでしかないというのが戦争開始から109年経った今、概ね展開されている分析かと思います。
そもそも論はドイツの経済発展に起因するところが大きかったのです。ドイツが統一されたのが1871年、明治維新3年後です。その後のドイツは破竹の勢いで経済成長し、フランス、英国をあっさり凌駕します。これは日本も同じで急成長するのですが、日本が当時虐められなかったのは遠い極東の国だったからかもしれません。大戦は欧州主要国(フランス、英国、ロシア)さらにはアメリカが背後支援する形となり、ドイツの敗戦で終結します。
さて、ドイツ問題は戦後処理に尽きます。ベルサイユ条約がドイツにとって厳しすぎたのです。植民地を取り上げ、領土割譲し、それに伴い人口も失います。更に莫大な戦後賠償を課せられます。これはドイツに過剰な負担となります。そこで欧州諸国と1924年にトランスファー保護協定を結び、賠償金の支払いをそれまでの外貨建てからドイツマルク建て返済を認めたのです。これがドイツ経済回復の最大の転換点になり、アメリカはドイツに多額の投資をし、また金本位制の下、アメリカに金(ゴールド)が集中し、真の意味での「アメリカに黄金の1920年代」をもたらすのです。まさに「華麗なるギャツビー」そのものなのです。(後年、アメリカが第二次大戦参戦をためらった重要な理由の一つになります。)
ところが1929年の大恐慌がこの歯車を狂わせます。そしてドイツもその影響を受けどん底に落ち込んだところで出たのがヒトラーです。ヒトラーの名前を出すのも汚らわしいですが、30年代のドイツ経済をV字回復させたのはヒトラーなのです。30年代の恐慌をうまく切り抜けたのがドイツ、日本、そしてソ連でした。
それもあり、あまり知られていないかもしれませんが、1939年にヒトラーはノーベル平和賞の候補に挙がっています。これを推奨したのがアンチ ファシズムの人だったので強烈な皮肉ではないかとされますが、まさか一人の推薦で決まるわけではない訳で完全にジョークだったと流しきれない気がしています。