11月5日号の本ブログで「シンプルライフのススメ」と題した内容で吉野源三郎の「君たちはどう生きるのか」について軽く触れました。その際に「哲学的な考察は別として」と述べ、本論ではシンプルライフについての持論を展開しました。

 

その「君たちはどう生きるか」は最近では宮崎駿氏が映画化しアカデミー賞の候補にもなっていますが、オリジナルの吉野源三郎氏の話とはストーリー的には全くつながりがありません。このタイトルを哲学化し、吉野氏の作品に対して宮崎氏の生き方を重ね合わせ、展開したものだろうと推察しています。

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たまには哲学のような内容の話も悪くないと思い、読みにくいかもしれませんが、お付き合いを頂ければと思います。

12月に日本に行った際に池袋の三省堂が哲学書のフェアを催しており、眺めていて面白そうでつい引き込まれてしまいました。まだ未読ですが、「スマホ時代の哲学」は購入し、読むのを楽しみにしています。今なぜ哲学なのか、ふと考えた時、「人は日々生きている」という意識を十分にしていないからではないかという気がしたのです。

世の中が便利になり、技術が発展し、食事は総菜コーナーや弁当、外食で済ませられるとすれば毎日、起きてから寝るまでほとんど何ら苦労なく過ごせます。あるいはFIRE(Financial Independence, Retire Early=経済的自立)が一部の方の憧れになるのは何故でしょうか?嫌な仕事や組織でストレスを溜めながら30年も我慢したのだからもう解放されたい、ということがモチベーションでしょうか?しかし、人生100年時代に於いてその先が長い点についてどう思われるのでしょうか?

数週間前の日経の夕刊の連載「あすへの話題」に哲学者で早稲田大学教授の森岡正博氏が「人生の意味の哲学」というコラムをお書きになっています。

「最近、『人生の意味とは何か』を正面から考えようという動きが、世界の哲学界で起き始めている。… 人生に意味があるとはそもそもどういうことなのか、という問いをじっくり考察するのである。… 自分の人生にとってほんとうに大事なこととは、いったい何なのか? そこに冷徹な哲学のメスを入れていくのが、人生の意味の哲学なのである」というのが趣旨です。

哲学なんて難しそうだと思います。正直、私もこの年齢になるまでとっつきにくいので避けてきた分野の一つであります。ですが、ふと考えてみると人類は80億人強となりましたが、全ての人にそれぞれの人生の哲学があります。そしてこの歳になったからこそ、自分の人生とは何だったのだろうか、と振り返る余裕が出来たのかもしれません。