最近、独デュッセルドルフ近郊のメットマンの教区神父が同性カップルの祝福式を実施したが、保守派聖職者で知られるケルン大司教区のライナー・マリア・ウェルキ枢機卿から叱責を受けた。全ての人に神の祝福を与えるべきだと主張する聖職者たちは、「私たちは、教会的に結婚の秘跡を受けられないカップルがいることを知っている。しかし、彼らがそのために牧会から排除されることがあってはならない」と強調している(「『同性カップル』に神の祝福を与えるか」2023年9月22日参考)。
ドイツ教会の重鎮マルクス枢機卿は2019年12月12日付の週刊誌シュテルンのインタビューの中で、「カトリック教会は同性愛者の人々を歓迎する。同性同士が長年互いに誠実にカップルとして生活を送っているなら、教会は彼らの生き方に負の評価をくだしてはならない」と述べる一方、「カトリック教会は同性カップルにも“司牧的に寄り添う”(seelsorgliche Begleitung)ということであって、『結婚の秘跡』を授けるわけではない」と断っている。
マルクス枢機卿はフランシスコ教皇を支える枢機卿顧問評議会メンバーの1人であり、教皇の信頼が厚い高位聖職者だ。同枢機卿の発言はフランシスコ教皇の意向が反映していると受け取って間違いない。
そこでバチカン教理省は教義と聖職者の現場の実践の間の乖離を埋めるために妥協を迫られてきたわけだ。その答えは「婚姻サクラメントは与えられないが、教会の公式の儀式外での祝福は認める」というものだった。もっと厳密に表現すると、「聖職者は同性カップルに教会の建物で神の祝福を与えることができる」というわけだ。それ以上でも、それ以下でもない。
フェルナンデス長官は声明文の中で「教皇フランシスコの司牧的理想を踏まえ、教会が祝福とは何かについての理解を広げ、豊かにした」と自賛し、「祝福についてさらに発展した理解があれば、正式にステータスを確認することや教会の一貫した教えに拘ることはなく、不規則な状況にあるカップルや同性カップルを祝福することが可能となる」というわけだ。
現行のカトリックの教えによれば、同性愛的な感情を持つことは罪ではないが、同性間の親密な行為は本質的に良くない。性的結合は男性と女性の間の結婚内でのみ許可される。その点は何も変わっていない。ただし、今回の政策表明によって、聖職者は今後、「同性カップル」に教会内で祝福を与えることが認められるわけだ。
この政策表明はフェルナンデス長官が言うように「神の祝福」への理解の発展を意味するのか、それとも「この世の神」との妥協であり、バチカンが同性婚を認知するのはもはや時間の問題となってきたと受け取るべきだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年12月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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