東日本大震災から13年を迎えます。復興は進んでいるようで、今はそれを風化させないようにする方にシフトしているようです。個人的には風化はしないと思っています。なぜならその13年間の間に他の地域で大きな震災が起き、日本人にとって震災とはずっとお付き合いをしなくてはいけないことを嫌でも思い出させるからです。
私は日本に29年間、住んだのですが、幸いにして大きな被害が出るような地震には遭遇したことがありません。一度だけ、震度5ぐらいの地震があった際、高速道路を運転していて「あれ、ハンドルがブレる」と思ったことがある、それぐらいです。一方、今、年に数回、日本で過ごす際、家で寝ている時、部屋の本棚のガラス扉が時折カタカタと鳴るのです。近くに大通りがない閑静な住宅街なので非常に微弱な地震が理由だと思うのですが、私にとってはむしろこちらの方が嫌です。ハッと起きてしまうのです。最近の日本の家具はしっかりしたもので微弱地震では何も音はしないのでしょうが、私の部屋にあるその本棚は私が小学生低学年の時に買ったものなので反応しすぎるのでしょうか?
日本の歴史絡みの書籍などを読んでいてもしばしば大震災が起きる話があり、時の政治や社会情勢が大きく変わったような話が出てきます。関東大震災もその一つだったのでしょう。そしてその地震は人間が制御出来ないので今後もずっとお付き合いせざるを得ません。日本はその地震と上手に付き合うという発想だったし、震災にあったらしょうがないという部分もあったと思います。
震災とはズレますが、日本の火災保険は隣家に延焼しても火災発生元が隣家の補償をする義務はありません。これは保険の考え方に「日本の住宅は紙と木で出来ているので延焼しやすい。だから火災保険の観点から延焼まで面倒を見ると保険会社はリスクの大きさを測ることができない。だから延焼への責任は重大な瑕疵がない限りないのです。そもそも失火については賠償責任を負わないと記された失火責任法という法律は1899年に施行されたものがもともとで125年経った今でもその原型が残っているのです。
ですが、これは行政の怠慢と言われるかもしれません。125年の間にどれだけの悲惨な事故が起きたか、それでも「それが日本のルールだから」という言葉で役人は見て見ぬふりをする、それでは日本は300年後も進化がない同じルールのもとにひやひやしながら過ごさねばならないのです。